「神の家族」

(8月31日の説教から)

 牧師 原田多恵子

エフェソの信徒への手紙5章21~6章9節

キリストによって新しくされ、光の子として歩むキリスト者に対して、パウ ロは、家族についても語ります。

 

妻と夫について、妻は「主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい」また、

「夫を敬いなさい」と勧めます。そして夫は「自分の体のように妻を愛さなくてはなりません」ということを繰り返し勧めます。この関係は、キリストが教

会を愛されたことがモデルに引用されます。夫は妻のかしらとされますが、それは専政君主のように振舞うのではなく、キリストが教会を愛し、犠牲になられたように、妻を愛し守るのです。

 子と親については「主に結ばれている者として両親に従いなさい」と子どもに勧めます。当時の社会で、両親に従うのは、いうまでもない当たり前のことでした。これは今日でも変わらない人倫の道ですが、大切なことは「主に結ばれている者として」親子関係を見るということです。十戒の5番目の「父と母とを敬いなさい」が引用され、この戒めには約束が伴っていることに注意を向けます。親もまた、親の権利や優越性を独善的に行使して、子どもを怒らせるのではなく「主がしつけ諭されたように、育てなさい」といわれます。

 奴隷と主人の関係は、奴隷に人格がなく主人の所有物でした。この非人間的な制度は、ここでは問題にされていません。勧められていることは「神の御心を行い、主に仕えるように仕える」ことです。

しかし、後に、聖書の光から、奴隷商人から牧師になり「アメイジンググレイス」を作詞したジョン・ニュートン、「アンクルトム」を書いたストウ夫人、またリンカーンのような奴隷解放に光を掲げた人たちが出てきます。主に仕える誠実な動機に裏付けられた歩みは、やがて世界を変える力になるのです。

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