「病をいやすキリスト」

2月19日(日)

牧師 原田 史郎

マタイによる福音書15章21~31節

 主イエスと弟子たちは、ティルスとシドン地方に行きますと、「この地に生まれたカナンの女が出て来て『主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています』」と叫びました。でも主はお答えにならず、弟子たちの願いにも「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と答えるのみでした。

 しかし、女は諦めないで「イエスの前にひれ伏し、『主よ、どうかお助けください』と言った」のです。この三度に及ぶ懇願に対して、イエスは、なおも「子供たち(イスラエルの家の失われた羊)のパンを取って小犬(カナンの女に代表される異邦人)にやってはいけない」と、女の訴えを拒まれます。

主の拒否は、わたしたちにとって絶望以外の何ものでしかありません。ところが、このカナンの女は、絶望の淵に立ちつつ「しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と訴えました。真の信仰は、安易に恵みを求めることではありません。絶望の極みの中で、それでもなお神の憐れみの大きさを信じ、信仰によって主に訴え続けるのです。主は、あえて厳しい対応で、彼女をこの信仰に至らしめられました。そしてイエスは「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と言われます。主のいやしは、この信仰の出来ごととして起こされるのです。

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