キリストの祈り

5月13日  

牧師  梁 在哲

ヨハネによる福音書 第17章1~13節    

 主イエスは弟子たちの足を洗われてその愛を示され、お別れの話をされた後、天を仰いで父なる神にご自身のため、弟子たちのため、そして教会のために祈りを捧げられた。それは、雄牛や雄山羊の血によらないで、主イエス御自身の十字架の血潮によってただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられた大祭司の祈りである。大祭司キリストの祈りついて宗教改革者のカルヴァンは「主イエスの祈りはご自身のお話しに権威を与えるしるしで、その響きは単純であるがその深くて幅広い豊かさは測り知れないものである」と解き明かした。御子の御業と弟子たちを通して父なる神の御旨が完全に成し遂げられるよう祈られ、十字架の死の御業を成し遂げられるゆえに主イエスはご自身に栄光が与えられるよう御父に願っておられた。それは永遠の前から御父と共におられた御子イエス・キリストが人間となられて十字架の上でご自身の栄光を捨てられたからである。 

主イエスは弟子たちのため執り成しの祈りをも続けておられ弟子たちを通して御名が現わされたことをまたご自身に与えられた全てのものが御父からのものであることを弟子たちが知っていると明らかにされた。主イエスは弟子たちを「良い羊飼い」のように守られたことを御父にお告げになられたが裏切者ユダのゆえに全員が守られる訳ではないことをも言われた。

主イエスはご自身の十字架の死とご復活のゆえに死の力が打ち破られてご自身を信じる全ての者に永遠の命が与えられることを弟子たちが悟るようになり、彼らが全ての喜びの源であられる主イエスご自身の「私の喜び」即ち「キリストの喜び」に満ち溢れることを明らかにされた。

主イエスが弟子たちに執り成しの祈りの模範をお示しになったゆえに教会も主イエスの執り成しのお祈りの模範に倣って勇気づけられて礼拝と祈祷会毎に執り成しの祈りを捧げ続けることが許されているのである。祈りによって生まれ、祈りによって生きる素晴らしい日本の教会の伝統を受け継いだ南房教会も神の御旨と信仰の先人たちの篤い祈りによってこの館山の地、上真倉の丘の上に建てられて昔も今もこれからも祈りによって主イエス・キリストと共に生き、伝道の望みに生きることが許されていると思うのである。今朝、私たちは大祭司でおられる「キリストの祈り」と信仰の先人たちが築いて来た篤い祈りに支えられて「良い羊飼い」で「真の葡萄の木」でおられる主イエス・キリストにつながっている「キリストの喜び」に満たされつつ、この地上の信仰の歩みを歩んで参りたいと願うのである。

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