主に仕えた婦人たち

8月4日

牧師 梁 在哲

ヨシュア記2章1~14節  ルカによる福音書8章1~3節

主イエスはある罪深い女の罪をお赦しになった後にも、相変わらず福音の伝道に励んでおられた。それは「12人の弟子たちと共に町や村を歩きまわるものであった」(1節)。その伝道の旅に多くの婦人たちも加わっていた。その中で何人かの婦人たち、すなわち「七つの悪霊を追い出して頂いたマグダラの女と呼ばれるマリアと、ヘロデの家令クザの妻ヨハネ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった(2~3節)。

婦人たちは主イエスより病気を癒していただいて、また悪霊を追い出していただいた大きな恵みに感謝して「自分たちの持っていた物を全部出し合ったうえで伝道の旅に加わった訳である」(3節)。主イエスはいつも抑圧されて苦しんでいる人、また人々から罪人だと、後ろ指をさされている人にお声をかけられて憐れんでくださった。女性たちも例外ではなかった。主イエスは彼女たちを高くあげて尊く用いられた。

ところがユダヤ人の目線から見れば、3人の婦人たちよりもっと惨めな立場の女性があった。その名はヨリコの異邦人の町に住んでいた遊女ラハブであった。彼女は自分の両親、兄弟姉妹たち、彼らに連なる者の命の安全の見返りとしてヨシュアから送り出された二人の斥候をかくまう大胆な行動を取り、驚くべき程の神への信仰を告白した(ヨシュア211)。

神はご自分のご計画のために誰も期待を寄せてくれない女性たちを用いられた。その不思議なお選びに答えて女性たちは自分の信仰を大胆な行動をもって現わした。マグダラのマリア、ヨハナ、スサンナが信仰のゆえに主イエスの伝道の旅に加わる大胆な行動を取ったようにラハブも大胆な行ないを伴う信仰の持ち主であった。ラハブの「信仰と行ない」のことを聖書の御言葉は証している(ヘブライ11:31、ヤコブ2:25)。

父なる神は、最も弱くて惨めな存在で、誰からも期待されない予想も出来なかった婦人たちを用いてくださった。そして父なる神は、何のいさおもなくて弱い私たちをも、御子イエス・キリストの十字架の血潮の贖いによって救ってくださり、用いてくださる。私たちは父なる神の大いなる御恵みに励まされつつ、御子イエス・キリストを信じる信仰をもって十字架とご復活を世に大胆に証して行く者となりたいと願うのである。

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