夜明けの小羊

4月 5日の説教

牧師 梁 在哲

創世記22章1~18節      ヨハネによる福音書18章28~40

主イエスは、大祭司カイアファとアンナスからの尋問を受けた後、ローマ総督ピラトから最終判決を受けるため官邸に連行かれた。ピラトは、何回も官邸の中と外を出入りしながら尋問を進めた。何故なら、ユダヤ人たちは汚れないで過越の食事をするため異邦人の官邸の中には入らなかったからである(28節)。ユダヤ人たちは、人を死刑にする権限がないことを言い訳とし、ピラト自身は、ユダヤ人の宗教には、口を挟まないよう振舞っていた。しかし、彼は、イエスを罪に定めるよう強く訴えるユダヤ人たちの圧力と良心の呵責との、板挟みになり、ユダヤ人たちの強い要求に負けてしまい、結局、主を尋問し始めた。ピラトは、最初に「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問した(33節)。それは、嘲りと、疑いが混じったものであった。ところが、主は、「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」とお答えになり(33節)、ピラトは意表を突かれた。

ピラトは、最初からユダヤ人の宗教の問題には、全く興味がなくて、主から問われた本当の意味も分からないまま、事務的に「お前は、いったい 何をしたのか」だけを聞いていた(35節)。しかし、主は、ピラトが思うようなこの世の王ではなく、ご自身、真理に満ちた国の王であるがゆえに、何もしなかったと言われた(36~37節)。そこでピラトは、主に「真理とは何か」と聞きながら、その答えを待たず、すぐ官邸の外にいるユダヤ人たちの前に出て、「わたしはあの男に何の罪も見いだせない」と、無罪の宣言をした(38節)。ピラトは、ユダヤ人たちに自分たちの律法に従って裁けと言いながら、自ら主への尋問を続けた。後に彼は、三度にわたって主に無罪を宣告したのに、主を十字架につけるようユダヤ人たちに引き渡した。結局、真理を知らなかったピラトの矛盾は続いて、「ナザレのイエスか、バラバか」と、とんでもない問いをユダヤ人たちにかけて(39節)、彼らは、何も深く考えずに、バラバを連呼した(40節)。

主イエスは、人々の罪のためにご自分の命を捧げられた「命の主」でおられる。しかし、バラバは、人の命を奪う殺人強盗であった。ユダヤ人の男の名前は、自分の父の名前に因んで、シモン・ペトロは、ヨナの子シモンと呼ばれた。しかし、バラバの名前は、ただ「父の子」と言う意味を持つ、父が誰であるかさえ、分からない者であった。主はバラバの代わりに死なれ、彼は自由となった。主は、神に背いていたバラバのような私たちの代わりに十字架の上で死なれ、私たちを罪の奴隷から解放し、神の子としてくださった。モリヤの山でアブラハムにご自分の小羊を備えてくださった(創世記22:8)ように、世の罪を取り除くご自分の小羊をお遣わしになった「父なる神」、「夜明けの小羊」として屠られ、私たちを罪の奴隷から解放し、神の子としてくださった「御子なる神」、バラバのような私たちを「アッバ父よ」(ローマ8:15)と呼ぶことが出来るように導いてくださる「聖霊なる三位一体の神」をほめたたえたいと願う。

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