急いで行って告げなさい

412日の説教

牧師 梁 在哲

出エジプト記14章15~22節      マタイによる福音書28章1~10

人間には、決して乗り越えられない壁がある。その壁は、葦の海の流れのように立ち上がっている(出エジプト14:22、15:8)死という力に他ならない。使徒パウロは「一人の人アダムによって罪が世に入り、その罪によって死が入り込み、人間は、その罪の奴隷となり、その見返りとしてもらう報酬は、死である」ことを証した(ローマ5:12、6:23)。このように人間は、自分勝手に罪の中で生きながらその一方、誰も死を経験したことがないゆえに死の恐れの中で生きている。しかし、主イエスは人間の罪を背負われて十字架で亡くなられ、人間の罪を完全に解決してくださった。何故なら、主は死人のうちよりよみがえられ、私たちが到底乗り越えられない壁のような死の力に打ち勝たれたからである。誰でも主イエスを命の救い主として受け入れ、信じる者は、主の十字架の血潮のいさおによってその罪は赦され、罪の奴隷から解放されるからである。主のご復活の力は、お墓を塞ぎ、封印された大きな石を打ち砕かれたように罪と死の力を打ち破られた(マタイ28:2)。

それゆえ、信仰の先人たちは、どのような脅威や迫害また苦難の中でも恐れずに大胆に主の十字架とご復活を証した。主と共に歩んで行く私たちも主のご復活の力のゆえに、また「イエス・キリストは死人のうちよりよみがえられた」という一つの信仰のゆえに、回復への望みを抱くことを許されている。主の御遺体に香油を塗りにお墓に行ったマグダラのマリアともう一人のマリアの前に天使が現われ、こう伝えた。「主が死者の中から復活され、ガリラヤで主にお目にかかることを急いで行って弟子たちに告げなさい」と(7節)。また復活された主ご自身、彼女たちに現われ、こう言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」と(10節)。復活された主は、ご自分を捨てて、皆逃げ込んでしまった弟子たちを「わたしの兄弟たち」と呼ばれた。それは復活された主が弟子たちに告げられるお赦しと命のお言葉であった。

ガリラヤで弟子たち否、兄弟たちは、復活された主のお赦しと命のお言葉にあずからせられる。神学者カール・バルトは、キリストの死から命へという道行きは、逆戻ることのできないゆえに戻る必要のない「恵みの一方通行」であると述べた。私たちも、ガリラヤの弟子たちのようにその逆戻りしない福音に参与させられる。新型コロナウイルスの蔓延のため互いに「社会的距離」をおくように言われる時勢の中で、キリストは、私たちの未曾有の苦しみにうめく聖霊と共に寄り添ってくださる。イースターの朝、私たちは、御子を死人のうちよりよみがえらせてくださった父なる平和の神、復活され、罪と死に打ち勝たれ、私たちを「恵みの一方通行」の道行きにあずからせてくださった御子なる神、私たちの苦しみに御子と共にうめきをもって寄り添ってくださる聖霊なる三位一体の神の御名をほめたたえたいと願う。

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