岩の上に建てられた家

7月11日の説教

梁在哲牧師

エレミヤ書7章1~7節     マタイによる福音書7章15~29節

イエスは、山上の説教の最後に、「人を裁くことのないように、また聖なるものを守り、祈りに励み、永遠の命に通じる狭い門から入りなさい」と、勧められた。そして、「偽預言者を警戒しなさい」と、羊と狼、良い木と悪い木の二つの例えを挙げ、その実で真の預言者と偽預言者を見分けるように厳しく戒められた(マタイ7:1~20)。その実は、人々の救いのために深い悲しみと絶え間ない痛みをもって彼らをキリストに導くかどうかに尽きる(ローマ9:2~3)。また、イエスは、ご自分に向かって、『主よ、主よ』と告白する者ではなく、天の父の御心を行う者だけが天の国に入ることを許されると言われた(21節)。ところが、『主よ、主よ』と言う告白が間違いではなく、むしろ口からの告白は、心の信仰の完成である(ローマ10:9~10)。ただ、その誤りは、神の御旨である愛の実践に欠けている告白であり、的外れた矢のように父なる神の御心に外れたまま、みだりに唱える罪である(出エジプト20:7)。

それゆえ、主は、ご自分が再び来られる日、そのような者たちに、「あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ」ときっぱり言おうと、戒められた(23節)。彼らは、心と精神と思いを尽くして主を愛し、隣人を自分のように愛する主の掟を犯し(マタイ22:37~40)、神の御心を行わない不法を働いたからである。最後に主は、ご自分の言葉を聞いても、ただ称賛に終わり、行わなければ、破局にいたることを家の基礎に例えられた(24~27節)。山上の説教は、「その倒れ方がひどかった」と、厳しくて恐ろしい警告で終り、群衆は、非常に驚いた(28節)。しかし、主は後にペトロをこう慰められた。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」と(マタイ16:18)。岩の上に建てられた家は、「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れない」ように(24~25節)、主のお体なる教会は、揺らぐことなく、むしろ城門のような陰府の力を打ち破るからである。わたしたちは、死と罪の力に打ち勝たれ、教会の頭なる主イエスに励まされ、聖霊の御助けによって深い悲しみと絶え間ない痛みを覚えつつ、主にある良い実を結びたいと願う。

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