最後まで耐え忍ぶ者

8月8日の説教

梁在哲牧師

 

エレミヤ書20章7~13節   マタイによる福音書10章16~25節

イエスは、12人の弟子を呼び寄せ、彼らが汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすため、汚れた霊に対する権能をお授けになった(マタイ10:1)。ところが、イエスは、柔和な福音伝道者たちが乱暴な迫害者が横行する世に遣わされるのは、まさに、狼の群れに羊を送り込むようなものだと思われた。この世は強い者が支配しているように見えるかも知れない。しかし、福音の世界においては羊のように柔和な者が強い者に打ち勝ち、幸いである(マタイ5:5)。それゆえ、イエスは、弟子たちに蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさいと言われた(マタイ10:16)。賢さは、素直さを通して、また素直さは、賢さを通して互いに均衡を保たなければ、ただずる賢くなり、頑なな者になるからである。また、イエスはご自分の名のために、弟子たちは全ての人に憎まれ、預言者ミカの預言通り(ミカ7:5~6)、家族同士が互いに裏切るような終りのしるしが現われると言われた(21節)。

しかし、イエスは世から憎まれる彼らに、「最後まで耐え忍ぶ者」は、救われると言われた(22節)。主が再び来られる終りの日に、彼らは完全な救いにあずかり、世から憎まれる苦難の道は、終わるからである。父なる神は、人間の罪と背きにも拘わらず、その独り子を惜しまずに、お与えになるまでその聖なる怒りと裁きを耐え忍ばれ、御子イエスは、十字架の死に至るまで御父に従い、全ての苦難と迫害を耐え忍ばれた。そして今も、主は、「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、わたしたちのために忍耐しておられる」(ペトロⅡ3:9)。わたしたちは、主イエスを信じる信仰によって救われ、主が再び来られる終りの日に成し遂げられる完全な救いを待ち望む。それゆえ、主の忍耐の模範に倣いつつ、完全な救いを妨げようとする暗闇の力に打ち勝つ、「最後まで耐え忍ぶ者」でありたいと願う。

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