御心を行う者

8月15日の説教

梁在哲牧師

 

創世記24章62~67節      マタイによる福音書12章43~50節

イスラエルの民は、神の恵みによってエジプトから解き放たれ、モーセを通して律法を授けられ、後に預言者エズラに導かれて、バビロン捕囚から帰還した。ところが、真の神の義を忘れていたイスラエルは、洗礼者ヨハネとイエスの教えによって掃除され整えられた家のように、大勢の人々が悔い改めるために出て来た。しかし、真心をもって悔い改め、メシアであるイエスに立ち帰らなければその家は、綺麗に掃除されていても、空き家になったと同様である。その家はファリサイ派の人々の偽善的、かつ形式主義に飾られ、以前よりもっと酷くなった。それゆえイエスは、メシアを拒むこの悪い時代の者たちも、そのようになろうと、厳しく例えられた(マタイ12:43~45)。引き続き、イエスは、「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と言われた(50節)。イエスは、決して地上の家族関係を否定された訳ではない(マタイ15:5~6)。

その家族は血肉によって結ばれたものではなく、主にある愛によって結ばれ、互いに重荷を担い合い、何よりも「神の御心を行う者」によるのであり、「神の言葉を聞いて行う人たち」による霊的な家族である(ルカ8:20~21)。使徒パウロは、「神はその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえる」ことを願っておられ、それこそ「神の御心」であると証した(エフェソ1:5~11)。その恵みは、御子の血によってわたしたちの罪を赦され、神の子とされ、相続者とされることである。それは、前もってキリストにおいてお決めになった「神の御心」によるものである。このようにイエスは、ご自分に結ばれた家族を造りあげる新しい共同体への道を開いてくださった(ヨハネ19:25~27)。今も父なる神は、御子イエスにおいて前もってお決めになった「御心」をわたしたちが行うように、聖霊を通して導いてくださる。わたしたちは、聖霊の御助けを求めつつ、御子によって与えてくださった輝かしい父なる神の恵みを褒め称えたいと願う。

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