天の国のことを学んだ者

8月29日の説教

梁在哲牧師

 

列王記上3章4~15節   マタイによる福音書13章44~52節

ガリラヤでイエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた(マタイ4:17)。それは、神に背いていた者に「悔い改めて神が統治される領域に入りなさい」と、言われる天の国への招きの声であった。その後イエスは、ユダヤ教の宗教指導者たちから排斥され、迫害を受け、ご自分の使命、即ち「天の国の福音」の例えを宣べ伝え始められた。それは、現世の天の国である教会を示す七つの例えであった。主は、福音を受け入れる心の畑を「種をまく人」に、福音が育てられる際、善悪が共存する現実を「毒麦と麦」に、造り上げられた教会が大きくなる「からし種」と広がる「パン種」に、天の国を得られる喜びを「宝」と「真珠」に(マタイ13:44~46)、終りの日、最後の分離の審判を「漁網」に例えられた(47~50節)。主は、七つの天国の例えの後、それらを悟り、理解した者に求められる使命を、もう一つの例えで締め括られた(51~52節)。主に従う真の弟子たちにのみ、それを理解できる力が与えられるからである(11節)。

彼らは、それを理解したゆえに、主から「天の国のことを学んだ学者」だと呼ばれた。モーセの弟子と自称した律法学者たちは、律法を学んだが、天の国の秘儀を悟らなかたが、弟子たちは、天の国のことを学んだ者として真の律法学者となった。それゆえ、彼らは自分の倉に真の宝を所有する者となり、その倉から新しいものと古いものを取り出し、人々に分かち合うように求められた。弟子たちは、メシアに至る道への古い約束とイエス・キリストを通して与えられる新しい約束を理解したゆえに、真の宝を所有する者となった。今も主は、天の国のことを学び、神の真理に悟り、理解できるよう願っておられる。しかし、それは主に仕え続ける道であるゆえに、素早く成し遂げることのできない生涯の課題でもある。私たちは、「天の国のことを学んだ者」としてそれぞれ自分の倉から真の宝でおられるイエス・キリストを取り出し、折を得ても得なくても周りの人々と分かち合う者であり続けたいと願う。

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