全世界に宣べ伝えられる福音

11月14日の説教

梁在哲牧師

 

出エジプト記6章2~13節   マルコによる福音書13章5~13節

「あした終末が来ても、私は今日リンゴの木を植える」。これは、宗教改革者ルターが語ったのではないそうだが、あした終末が来たら、今日リンゴを植えることは、無駄であるとしか、見えないかも知れない。しかし、使徒パウロは「あなたがたの労苦が主にあって無駄になることはない」と、証した(コリントⅠ15:58)。イエスは、終りの日にエルサレムは滅ぼされ、ご自身再び来られると、言われた。後にオリ-ブ山で弟子たちは、その恐ろしいことは、いつ起こるのか、またどんな徴があるのかとイエスに尋ねた(マルコ13:3~4)。そこでイエスは、偽のキリストや(6節)、戦争と災難(7~8節)、また迫害(9~13節)のために人に迷わされ、神から離れないように気をつけなさいと言われた(5節)。徴自体が終末ではなくて、それらは、終末に伴う産みの苦しみの始まりに過ぎないからである(8節)。しかし、イエスはそのような厳しい徴、殊に迫害の中でも福音は、一歩ずつ前進し、全世界に宣べ伝えられねばならないと言われた(10節)。キリストの喜ばしい知らせがユダヤ民族と国境を越え、全世界の民に宣べ伝えられることこそ、終末の徴であるからである。

また、イエスは、身内から受ける迫害こそ、最も耐え難いものであり(12節)、キリストに結ばれた者は、その名のために世の権力者から憎まれても、最後まで耐え忍びなさいと、言われた(13節)。それは、避けては通れない弟子の道である。しかし、最後まで耐え忍ぶその道の終りは、キリストが再び来られる世の終りの時である。イエスが挙げられた「徴」の苦難や災害、また理不尽なことを、今日でも、わたしたちは、否めない現実として経験し、残念ながらそれらは、続くだろう。しかし、父なる神の「御力とご約束」のゆえに、わたしたちは、御子イエスより命じられたように「最後まで耐え忍ぶ」ことを許されている。何故なら、福音は、信じる者に救いをもたらす「神の御力」として(ローマ1:16~17)、世界中を覆い、世の苦しくて醜い現実を打ち破り、全世界に宣べ伝えられるからである。そして、父なる神は、御子イエス・キリストの復活を通して今も、とこしえに「永遠の命」を約束してくださるからである(コリントⅠ15:57)。わたしたちは、主が再び来られるその日に、朽ちない者として復活させられる望みを抱きつつ、福音を宣べ伝えたいと願う。

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