福音を始められるキリスト

12月12日の説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書40章1~11節      マルコによる福音書1章1~8節

「僕の福音書」と呼ばれるマルコによる福音書は、突如、洗礼者ヨハネの働きから始まる。僕に序論は要らなくて、直ちに働くことしか求められないからである。「神の子、イエス・キリストの福音の初め」(マルコ1:1)。それは、神の子、イエス・キリストこそ、福音であり、イエス・キリストが福音を始められ、成就されることの厳粛な宣言である。使徒パウロも、イエス・キリストを「聖書の中で預言者を通して約束された福音」として証した(ローマ1:2~4)。

洗礼者ヨハネは、来るべきイエス・キリストの道を備える先駆けとして遣わされ、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と、荒れ野で叫ぶ者の声であった(3節)。彼は、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝え、風に揺れる葦のような者ではなく、柔らかい衣を着て、見栄えを張るような者でもなかった。彼は、後から来られるイエス・キリストは、自分より優れた方で、自分は、僕にも及ばないとへりくだって主の道を整えた(4~8節)。

主イエス・キリストのご降誕を喜び祝い、感謝と悔い改めの祈りをささげるこのアドベントの時、わたしたちは、再び来られる主の道を備え、整える者を覚えて祈らねばならない。しかし、整えられ、備えられるべきその道は、まっすぐどころか、でこぼこのようなわたしたちの高ぶりと谷のような邪な心や悪い思いのゆえに、妨げられているのではないだろうか。わたしたちは、聖霊の御助けに依り頼り、与えられた御言葉と福音を宣べ伝えつつ、再び来られる主の道に備えたいと願う。

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