神に向かっていく讃美

12月19日の説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書9章1~6節     ルカによる福音書2章8~20節

ローマ皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録をせよとの勅令が出され、ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に上って行った。住民登録のためにごった返していたベツレヘムの町の郊外では、羊飼いたちが野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていた(ルカ2:8)。「世の罪を取り除く神の小羊」で、「善い羊飼い」でおられる救い主がお生まれになるその時、昔ダビデが羊の群れの番をしていたその野原で、羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていたのである。人々から忘れられ、厳しい生活を強いられていた彼らに、突然主の天使から「クリスマスの福音」が告げられ、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と讃美が聞えて来た(9~14節)。彼らは急いでベツレヘムへ駆けつけ、マリアとヨセフと飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て、幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

ところが、人々は皆、その一連の出来事を不思議に思っている中でマリアは、それを思い巡らして心の中に深くおさめた。人々から汚れた者として見做され、人間扱いされずに過ごしていた羊飼いたちは、これから闇に包まれて厳しい日常の生活が待っている野原に帰って行く。しかし、彼らの心の中には、自分のような者のためにも、「クリスマスの良いお知らせ」が告げられ、しかも救い主が、飼い葉桶の中で自分たちを待っていてくださったことに、言葉には表せない喜びが湧いて来た。それゆえ、彼らは見聞きしたことを思い出し、神に向かって讃美を捧げた(20節)。それは、彼らが以前、野原で口にした空しい響きのようなものではなく、神に向かっていく喜びに溢れるものであった。彼らは全てのことを自分の目で確かめ、神の栄光を讃美し、救い主のご誕生の最初の証人となった。わたしたちもその独り子をお与えになったほどに、世を愛された父なる神の愛と御子イエス・キリストの恵みを覚え、聖霊の御助けを求めつつ、神に向かって讃美をささげ続けたいと願う。

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