別の道を通って帰りなさい

12月26日の説教

梁在哲牧師

 

 

イザヤ書49章7~13節    マタイによる福音書2章1~12節

占星術の博士たちは、東の国から遠路はるばるベツレヘムにやって来た(マタイ2:1節)。その道程は、人知を遥かに超える神の御導きによる不思議なものであった。しかし、ユダヤの律法学者たちは、救い主がどこで生まれることになっているのか知りながらも行って拝もうとはしなかった(5~6節)。東方の博士たちは、母マリアと共におられる幼子イエスにひれ伏して拝み、黃金、乳香、没薬を贈り物として献げた(11節)。救い主ご降誕の福音は、ユダヤ人だけではなく、東方の博士たちのような異邦人にも及び、彼らから異邦人への救いの御業が始められた。主の恵みによって使徒パウロは異邦人の使徒となった。彼はイスラエルの失敗のゆえに異邦人が先に救われ、それに刺激されてイスラエルも後に救われ、完全に成就される神の救いの御業を褒め称えた(ローマ1:5、11:25~36)。ところが博士たちは、夢の中で「ヘロデのところへ戻るな」と告げられ、エルサレムを経由せず、「別の道」を通って自分の国へ帰って行った(12節)。

それに気づいたヘロデ王は、激しく怒り、ベツレヘム中の2歳以下の男の子を抹殺してしまった(16節)。救い主の生涯は、ヘロデ王の殺意に満ちた企てから始まり、ユダヤ人たちの抹殺の十字架にまで至るものであった。この何年間、わたしたちは、未曽有のコロナ禍の中で、また度重なる自然災害などで苦しみと不安を覚え、心身ともに揺れ動く日々を余儀なくされた。ヨセフも、東方の博士たちも疑いを抱き、心が揺れ動いた時、主の天使のお告げ通り、別の道に従ったように主イエスは、わたしたちにも新しい命に至る別の道をお示しになる。道であり、真理であり、命である主は(ヨハネ14:6)、十字架の上でご自分の肉を通って「新しい生きた道」をわたしたちに開いてくださったからである(ヘブライ10:20)。主の別の道は、使徒ペトロが告白したように「命に至る道」に他ならない(使徒2:28)。わたしたちは、救いの御業を成就してくださる父なる神を賛美し、御子イエスの命に至る道を通って前進し、聖霊の御助けによって新たにされ、新しい年を迎えたいと願う。

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