御言葉の知恵に生きる主

1月 2日の説教

梁在哲牧師

 

ゼカリヤ書8章1~8節   ルカによる福音書2章41~52節

少年イエスの「宮詣」と呼ばれる福音書の箇所は、主イエスの公生涯に先立つ物語として初代教会から大切にされて来た。モーセの掟によって少年イエスの両親は、過越祭には毎年エルサレムへ旅をし、イエスが12歳になった時も、祭りの習慣に従って都に上った。(ルカ2:41~42節)。12歳の少年は、断食や祭りなど律法の掟を守り、「律法の子」となるからである。ところが両親は、七日間の過越祭を忠実に守った後、イエスがいなくなったことに気づかず、帰路を急いで一日分の道のりを行ってしまった(43~44節)。100万以上の人が集まって来る祭りの期間中に迷子が生じるのは、日常茶飯事のことであった。それから、両親は、親類や知人の間を熱心に捜し回ったが、イエスを見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した(45節)。三日後、両親は、神殿の境で学者たちの話を聞いたり質問したりしておられるイエスを見つけ驚き、母マリアは、イエスを咎めた。しかし、イエスの賢い受け答えに人は皆、驚いていた(46~48節)。学者たちの話に耳を傾けながら問いをかけ、また答えるイエスの言葉は、「神の御言葉の知恵(ソフィア)」であるからであった。主ご自身、「あなた方が聞いている言葉は、私のものではなく、私をお遣わしになった父のものである」と言われた(ヨハネ14:24)。

使徒パウロも自分が宣べ伝えた神の御言葉は、イエス・キリストの十字架とご復活に他ならないと証した(コリントⅠ15:3~5)。そこでイエスは、母マリアに「自分の父の家にいるのは当たり前だ」と答えた(49節)。これは聖書においてイエスが語られた最初の言葉であるが、ギリシア語原文には、「私が私の父のこと(事柄)の中にいるのは当たり前だ」と訳されている。それゆえ、イエスは、神殿の境内で既に人間として罪を贖う十字架の道を、またそれと同時に神の御子として復活の道をも歩み始められた。それこそ、神の御言葉の知恵に生きる歩みであるにも拘わらず、両親は、全く分からなかった(50節)。しかし、少年イエスは、ナザレの貧しい両親のもとに帰り、匠として過ごされる中、「知惠」が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された(52節)。使徒パウロは、十字架につけられたイエス・キリストこそ、「神の知恵」であり、「神の力」であると証した(コリントⅠ1:23~24、30)。それゆえ、弱い私たちは、聖霊の御助けを求め、御子イエスによってのみ得られる父なる神の知恵を求める。何故ならば、私たちにとって神の知恵こそ、恵みの賜物として神の御旨を深く知るように、また全ての善い業が豊かに実を結ばれるようにしてくださるからである。新しい年の始めにあたり、父なる神の御言葉の知恵に生きる御子イエスに倣い、聖霊に依り頼り、御言葉の知恵に生きる者であり続けたいと願う。

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