風も波も静められる主

2月27日の説教

梁在哲牧師

 

ヨナ書1章9~16節     マルコによる福音書4章35~41節

イエスは、種を撒く例えを語られたその日の夕方、群衆を避けて休憩を取るために、向こう岸に渡ろうと、弟子たちに言われた(マルコ4:35)。ところが、渡って行くうちに、突然激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかしイエスは、艫の方で枕をして眠っておられた(37~38節)。そこには、嵐の中でも御父に信頼を置き、御子イエスが深く眠っておられる一方、長い一日のお働きの後、弱い人間イエスが眠りに陥っておられる。イエスの眠りについて語るのは、福音書の中でこの箇所だけであるが、この世に枕する所もないイエスは、船の艫の方で枕をして眠っておられる(マタイ8:20)。最初、渡って行くうちに弟子たちは、イエスを無理に起こせず、言われたまま、素直に船を漕ぎ出した。しかし、突然の激しい嵐の前に彼らは慌てて、イエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」、と言った(38節)。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった(39節)。悪霊や病に命じられた主イエスは、風と湖にお叱りになり、命じられた。ヨナは、突風を引き起こした原因となっていた(ヨナ1:10)。

しかし、主はその突風を静められた後、「何故、怖がるのか。まだ信じないのか」、と言われた(40節)。主は一日のお働きの後、疲れを覚えられ、眠りに陥ったご自分の弱さの中で弟子たちに信じることを求められた。しかし、主は、その信仰を一方的に求められることなく、弱い弟子たちの苦労をいつも労い、優しく語りかけてくださった。何故なら、主ご自身、私たちの弱さに同情出来ない方ではなく、あらゆる点において私たちと同様に試練に遭われたからである(ヘブライ4:15)。使徒パウロも、復活された主より、「力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ」、と言われ、「キリストの力のゆえに自分の弱さを誇りましょう」、と証した(コリントⅡ12:9~10)。風も波も静められる御子イエスは、船の上で眠っておられたご自分の弱さをもって私たちに、「何故、怖がるのか。まだ信じないのか」、と信仰を求めておられる。そして、弱い私たちのために、「力は弱さの中でこそ、十分に発揮される」、と労い、優しく語りかけてくださる。それゆえ、私たちは、如何なる場合でも、揺るぎなき信頼の源でおられる主のお声に励まされる。今コロナ禍の最中で、弱さ、行き詰まり、窮屈に悩まされても、「風も波も静められる主」の御力と弱さが聖霊の御助けによって私たちの内に宿り、喜んで自分の弱さを誇ることが出来るように切に願う。

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