神からの真理

7月24日の説教

梁在哲牧師

 

列王記上10章1~13節    テモテへの手紙一3章14~16節

使徒パウロは、ローマの監獄から一旦解放された後、テモテをエフェソに残してマケドニア伝道旅行の途中、間もなくテモテの所へ行きたいと思いながら、先ず、急いでこの手紙を書いた(テモテⅠ3:14)。パウロは、教会の本質を明らかにする上で教会は、決して人間的な組織ではなくて、「神の家」として主イエスのみ力が働く場所であることを示した。主は、ペトロの信仰告白の上に教会をお建てになると、言われた。それゆえ、パウロは、その信仰告白こそ、真理であり、教会の柱であり、土台である、と示した(15節)。そして、御子イエス・キリストの十字架と復活を通して明らかにされた救いの道、その秘められた「神からの真理」の偉大さを褒め称える礼拝こそ、教会の真の姿である、と証した(16節)。その真理に喜びをもって褒め称える者は、自分を頼みとすることなく、へりくだり、神に全てを委ねる。ソロモン王のもとを訪れたシエバの女王もソロモン王が思ったより真実な者であることを見てへりくだり、その権威に従う者の幸いにあずかり、喜びをもって贈り物を捧げた(列王記上10:7~10)。

旧約において「神の家」とは、神殿を示し、初代教会は、神を父と呼び、信徒同士は兄弟姉妹と呼び合う家庭から始まった「神の家」であった。カルヴァンも、神は父なる神であり、教会は、母なる教会だと述べた。主ご自身、「私は道であり、真理であり、命である」と言われた故に、御子イエスにおいて現れる父なる「神からの真理」を信じる聖徒らが呼び集められる「神の家」こそ、教会に他ならない。アインシュタインは、「教会は真理を守るために立ち上がった巨人のようなものであった。他の知識人たちが独裁に屈服した時、教会は最後まで立ち続けていた。私は最初、教会は弱いものと蔑ろにしたが、今は絶え間なく褒め称えると告白せざるをえなくなった」と述べた。イエスを裏切り、見捨ててしまったペトロのようなわたしたちの信仰告白をも受け入れてくださり、主を褒め称えるわたしたちを栄光へと導いてくださる場所こそ、教会に他ならない。わたしたちは主イエスにへりくだって、従う恵みにあずかり、喜びをもって「神からの真理」を褒め称えつつ、守り続けたいと願う。

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