キリストの王なる権威

11月20日の説教

梁在哲牧師

 

サムエル記下5章1~5節 コリントの信徒への手紙一15章20~28節

イスラエルの長老は、ほかのすべて 国々のように、自分たちのために裁きを行う王を立ててくださいと、士師サムエルに申し入れた。しかし、長老たちの願いは、サムエルの目には、悪と映り、そこでサムエルは、主に祈った。ところが、主なる神は、ご自分の代わりに王が国を治めるように長老たちの要求を受け入れた。そして、サムエルに彼らの上に君臨する王の権能をはっきり教え、警告するように命じられた。長老たちが退けたのは、サムエルではなく、彼らの上に主なる神が王として君臨することを退けていたからである(サムエル上8:4~9)。後にダビデは、二代目の王として主の御言葉を信じて忠実に守ることを誓い、ヘブロンで7年間ユダを、エルサレムで33年間ユダとイスラエルを、合わせて40年間、全イスラエルを治めた(サムエル下5:1~5)。

イエスと一緒に十字架につけられていた犯罪人は、「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、私を思い出して下さい」と言った(ルカ23:42)。彼は、侮辱と嘲りが飛び交う苦しい十字架の上で全ての民の罪を背負って赦しを祈られるイエスの姿から「神の国の王なる権威」を見い出しだからである(ルカ23:33~34)。また、キリストは、ご自分の復活を通してアダムによって始まった罪と死に勝利をおさめ、眠りについた人たちの初穂となられ、「神の国の王なる権威」を示された(コリントⅠ15:20~22)。御子イエスは、ご自分の十字架と復活の力によって父なる神に敵対する世の悪と死と罪の力を打ち砕かれ、勝利をおさめられたからである。それゆえ、使徒パウロは、「死は勝利に呑み込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか」と証した(コリントⅠ15:54~55)。わたしたちは、キリストの十字架を仰ぎつつ、「キリストの王なる権威」に感謝をもって「キリストの復活の力を知り、その苦しみにあずかり、折を得ても得なくても御言葉を宣べ伝えたい」、と願う。

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