救いをもたらす神の恵み

12月25日の説教

梁在哲牧師

 

ミカ書5章1~3節     ルカによる福音書2章1~20節

「天は、主なる神の正しさを告げ知らせ、全ての民はその栄光を仰ぎ見る」(詩編976)。この詩編の歌に答えるように主の天使たちは、ベツレヘムの野原で野宿をしながら、夜通し羊の群れの世話をしていた羊飼いたちに近づき、こう告げた。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである」、と(ルカ2:10~11)。この詩編の歌のように、ベツレヘムの野原で羊飼いたちに告げられた救い主の降誕のお知らせから、主の福音を通して「すべての民は、その栄光を仰ぎ見る」ことを許されるようになった。紀元前8世紀の預言者ミカは、イザヤと同時代に南ユダで活動し、「救い主は、ベツレヘムでお生まれになる」と預言した(ミカ5:1~2)。ミカの預言通り、主イエスは、いと小さき者と、呼ばれていたベツレヘムでお生まれになり、周りから「捨ておかれた産婦」マリアとヨセフには、泊まる場所がなくて、乳飲み子イエスは、飼い葉桶に寝かされた(ルカ2:7)。

その後、「天使たちが離れて天に去った時、羊飼いたちは、さあ、ベツレヘムへ行こう」、と話し合った(2:15)。ベツレヘムは、羊飼いたちの終着地ではなく、通り過ぎるところであった。救い主がお生まれになったベツレヘムは、十字架とご復活の向こう側につながっているからである。それゆえ、救い主イエス・キリストのお誕生を喜び祝うクリスマスの出来事は、主の十字架とご復活の出来事につながっている。使徒パウロの愛弟子テトスは、不法と死と罪の力の虜になっているわたしたちを解放してくださるために、主イエスは、わたしたちと同じ人間として世に来られてご自身を身代金として十字架の上に捧げられた、と証した(テトス2:14)。それこそ、御子イエスの十字架の贖いであり、「実に全ての人々に救いをもたらす父なる神の惠みである」(2:11)。その独り子を惜しまず、お与えになられ、「実に全ての人々に救いをもたらす父なる神の惠みが現れる」このクリスマスの朝、わたしたちは、新しい歌を歌いつつ、救い主イエス・キリストを迎えたいと願う。

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