教えるキリスト

2月5日の説教

梁在哲牧師

 

箴言3章1~8節    ルカによる福音書8章4~15節

ソロモン王は、青壮年期に雅歌書を、中年期に箴言を、そして生涯最後にコへレトの言葉を書き記した。殊に箴言を通して主なる神の教えと戒めにどのように向き合うべきかを書き残した。彼は、「主なる神の教えを忘れず、その戒めを心に納めるように」勧めた(箴言3:1)。そして、「心を尽くして高ぶることなく、全てのことを主なる神に信頼し、告げ知らせつつ、自分の道を歩く者の道筋を主なる神はまっすぐにしてくださる」と、主なる神の御旨を取り継ぎ、勧めた(3:5~6)。また、詩編の記者は、主なる神が望んでおられるのは人間の知恵や力ではなく、ご自分の愛と慈しみの内に畏れ敬う信仰であることを歌っている(詩編147:11)。主なる神を畏れ敬い、その愛と慈しみを信じる者のみ神に喜ばれるからである。

主イエスは、「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」と、「種を蒔く人」の例えを教えられた(ルカ8:15)。キリストのお体なる教会に連なっている者として、恵みによって蒔かれた種、キリストの教えを立派な善い心で忍耐して守り、実を結ばねばならないと思う。その立派な善い心とは、「主なる神を畏れ敬い、その愛と慈しみを信じる心」であり、「心を尽くし、自分の分別に頼らず、全てのことを主なる神に信頼し、告げ知らせる心」ではなかろうか。使徒パウロは、「教えるキリスト」に倣い、キリストに仕え、また神の秘められた計画を委ねられた管理者として高ぶることなく、へりくだって聖書の御言葉に忠実に集中するように勧めた(コリントⅠ 4:1~2、6)。

父なる神は、御子イエス・キリストを通してご自分に至る一筋の道を開いてくださった。そして、心を尽くして、うぬぼれることなく、全てのことを神に信頼し、尋ね求めつつ、歩く者の道筋をまっすぐにしてくださる。御子イエス・キリストを通してご自分の御旨をお示し、教えられる父なる神のゆえに、御子イエス・キリストは、世に遣わされ、ご自分の良い知らせ、福音を教えられ、宣べ伝えられた。わたしたちは、恵みによって蒔かれた種、キリストの教えの模範に倣い、高ぶることなく、へりくだって聖書に記されている御言葉に忠実に耳を傾けつつ、キリストの教えを世の人々と分かち合い、宣べ伝え続けたいと祈り願う。 

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