キリストの心を証し、生きる者

7月16日説教

梁在哲牧師

 

サムエル記上24章8~18節  ガラテヤの信徒への手紙6章1~10節

「キリストの心」は、私たちの救いのために御自ら十字架の道を歩まれた「キリストの愛」に他ならない。それゆえ、真実な信仰をもって主が望んでおられる御心に生きることを通して「キリストの愛」は、証しされるのではなかろうか。一人の罪深い女は、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った(ルカ7:36~38)。主は、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。あなたの罪は 赦された」と言われた(ルカ7:47~48)。罪深い女は、自分の愛を主イエスに精一杯示し、多くの罪を赦され、「キリストの愛」を証した。

使徒パウロは、第一次と第二次伝道旅行を通して小アジアのガラテヤ地方で教会を築き上げた。ところが、一部のユダヤ人たちが自分の使徒としての資格を否定し、十字架の贖いを拒み、福音の本質を歪曲している噂を聞き、パウロはガラテヤ教会宛に手紙を送った。彼は、罪に陥った仲間を「柔和な心で正しい道に立ち帰らせる」ように求め、また、互いに重荷を担い、助け合い、共に生きていくように励まし、殊に、「信仰によって家族になった人々にたゆまず、飽きずに善を行う」ように勧めた(ガラテヤ6:1~10)。真実な信仰をもってキリストが望んでおられる御心に生き、「善を行う」ことを通して「キリストの心」は、証しされるからであった。

パウロが勧めたようにダビデは、身をもって「善を行う」道を歩み続けた。サウル王より命を狙われていたダビデは、力で逆らうことなく、全てのことを主なる神の裁きに委ね、「わたしの手には悪事も反逆もありません。あなたに対して罪を犯しませんでした」とサウルに言った(サムエル上24:12)。ダビデは、身をもって善を行い、ついにサウルは、「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した」と告白するようになった(24:18)。

ダビデは、息子アブサロムの反逆の寸前に、罪の苦しみに伴う重い病を患い、その苦しみ中で自分を憎む敵が「善意に悪意をもって答える」状況に直面していた。私たちもそのような状況に直面しつつあると思われる。しかし、ダビデはそのような状況にも拘わらず、主なる神が遠く離れることに気づき、自分を見捨てて、遠く離れないように願い、悔い改め、信仰を告白した(詩編38:21~22)。私たちは聖霊の御助けによってたゆまず、飽きずに善を行うことに励み、「主の十字架と復活の証人」として、「キリストの心を証し、生きる者」であり続けたいと祈り願う。

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