十字架の真理を宣べ伝える教会

11月26日説教

梁在哲牧師

 

エレミヤ書23章1~6節   ヨハネによる福音書18章33~40節

預言者エレミヤは、ユダヤ王国、最後の5人の王の時代に主なる神の御言葉を取り継いだ。エレミヤは、主なる神をないがしろにし、国を荒らして民を踏みにじっている王たちに向かって、厳しい主なる神の裁きの御言葉を取り継いだ(エレミヤ23:1~2)。そして、国はバビロンによって滅ぼされ、エルサレムは破壊され、民は捕虜となって連れ出されると預言する一方、「主なる神の御前に正しい若枝として正義なる王、正しい牧者が新たに立てられ、その王は治め、栄え、国に正義と惠みの業を行う」望みも預言した(3~5節)。エレミヤの預言は、万軍の王としてこの世に来られた主イエス・キリストによって、またその福音宣教によって成就された。

ユダヤ人たちがイエスを大祭司長カイアファのところから總督官邸に連れて行ったので総督ピラトは、「お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか」とイエスに尋問した。ところが、ピラトの関心事は、専ら、イエスが本当に自分の地位を脅かすほどの王なのかどうかを確かめることだけであった。そこでイエスは「わたしの国は、この世には属していない。わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」と答えられた。ピラトは、「真理とは何か」と空しくつぶやき、「わたしはあの男に何の罪も見いだせない」と言った(ヨハネ18:36~38)。

 ヨハネの黙示録の記者は、アジア州の七つの教会宛に「地上の王たちの支配者でおられる、全ての王の王として主イエス・キリストから惠みと平和があなたがたにあるように」と挨拶し、その王は私たちを愛し、御自分の十字架の血によって私たちを罪から解放してくださり、死者の中から最初に復活されたと伝えている(ヨハネ黙示録1:4~5)。その意味において全ての王の王として主イエスの務めは、「十字架の贖い」であり、それは、御子イエスの十字架の贖いによって示された「父なる神の真理」に他ならない。それゆえ、主イエスは、ピラトに「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」と言われた。

ダビデは、サウロ王の追撃に覆われ、マオンの荒れ野に逃れた時、「汚れた思いは何ひとつご覧にならないでしょう。わたしの口は人の習いに従うことなく、あなたの唇の言葉を守ります。暴力の道を避けてあなたの道をたどり、一步一步、揺らぐことなく進みます」と主なる神に自分の潔白さを告げ、救いを祈った(詩編17:3~5)。私どもの教会は、主イエスに倣って、「キリストの十字架とご復活の真理」を証し、宣べ伝えつつ、暴力の道を避けて、道であり、真理であり、命でおられ、王なる御子イエス・キリストに一步一步、揺らぐことなく、従い行きたいと祈り、願う。

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