イエスと共に歩む者

3月3日説教

梁在哲牧師

 

ヨシュア記24章14節~24節 ヨハネによる福音書6章60節~71節

五つのパンと二匹の魚の奇跡を目の当たりにした群れは、カファルナウムまでイエスを追いかけて来た。ところが、彼らは、イエスより、「わたしは天から降って来たパンである」と言われ、不安を覚え、つぶやき始め、イエスから遠ざかって行き、離れ去った(ヨハネ6:41)。また、イエスは、カファルナウムの会堂で敎えていた時も同じことを言われた。そこでイエスに従って来た他の弟子たちの多くがそれを聞いてイエスを非難し、離れ去り、もはやイエスと共に、歩まなくなった(6:64~66)。

ところが、離れなかった12人の弟子たちは、「あなたがたも離れて行きたいか」とイエスより選択を迫られた(6:67)。それと同時に彼らは、五つのパンと二匹の魚の奇跡の際、イエスより試されたフィリポのように試された。そこでシモン・ペトロが「主よ、わたしたちは、だれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ、神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と答えた(68~69)。それは、ペトロの信仰告白であり、命のパンでおられるキリストへの最初の証しであった。

ヨシュアは、110歳で亡くなる前に、イスラエルの全部族をシケムに集め、イスラエルの長老、裁判人、役人を呼び寄せ、彼らに誓いを立てるように言った。彼らはユシュアより主なる神に仕えるか、仕えないかと選択を迫られた(ユシュア24:14~15)。そしてヨシュアは、「ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」と告白し、「その日、シケムで民と契約を結び、彼らのために掟と法とを定めた」(24:25)。

モーセは、「人生の年月は70年程のものです。健やかな 人が80年を数えても、得るところは労苦と災いに過ぎません。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります」と人生の空しさを告白した(詩編90:10)。エジプトの国から解放されたイスラエルの民が荒れ野の40年間、その不信仰と罪のゆえに、自分は勿論、皆荒れ野で死ぬようになったからである。それゆえ、モーセは「生涯の日を正しく数えるように教えて下さい。知惠ある心を得ることができますように」と祈り始めた(詩編90:12)。

わたしたちは、人生の荒れ野の旅で、昔イスラエルの民がそうであったように絶えず選択を迫られつつ、今も主イエスに、「あなたがたも離れて行きたいか」と問われているのではなかろうか。どうか聖霊の御助けによって知恵ある心を得て、「わたしとわたしの家は主に仕えます」と告白しつつ、父なる神が御子イエスを通して開いてくださった一筋の道を主イエスと共に歩みたいと祈り、願う。

前回 目次へ 次回