いつも共にいたもう主 2009年4月19日礼拝説教 マタイ28章16~20 復活されたイエスは、ガリラヤのシナイ山の上で弟子たちに現らわれ給いました。シナイ山をはじめ、山上での説教、山上の変貌など、山の上は主の栄光の出現の場所です。 主イエスは、弟子たちに命じられました。第一は、「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」。弟子とは、先生に従い、考え方を学び、そのように生きる者です。私たちは、キリストの弟子とされたのです。そうであれば、キリストに従い、学び、考え、キリストの歩まれたように歩くよう召し出されているのです。 第二は、このために「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と命じられます。洗礼を受けない状態は、ウインドーを見て、その素晴らしさを観察するようなものです。しかし洗礼は一歩、店内に入り、飾られている素晴らしい洋服を着、自分のものとして町の中に出て、生活することであります。洋服は一時の気分しか変わりませんが、洗礼は、そこから全く新しい歩みへと変えられるのです。 それと共に、第三は、主から教えていただいたことを守るように伝えることが命じられます。このために私たちは、訓練されなければなりません。救われました、で終わりでなく、受けた恵みをきちんと証しすることが出来なければいけません。弟子たちはもう主に頼れません。主は「あなたがたに」と言われるのです。 けれども、信仰の弱い私たちは、この宣教の大命令は重荷になってしまいます。すぐに行き詰ったり挫折してしまうのです。 しかし主イエスは約束されます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」。この主の約束に支えられ、励まされ、私たちは、主の弟子としてこの世へと遣わされるのです。 |