復活の主、エマオでの顕現

426目礼拝説教 原田多恵子牧師

ルカ241335

主イエスは復活なさったことを、人それぞれに応じて示されました。最初は、朝早く墓に行った女性たちに、次はエマオヘ急ぐ二人の弟子たちにでありました。

エマオはエルサレム北西近くにあります。二人は古い説では、主イエスの父ヨセフの兄と、その子シメオンといわれますが、レンブラントの描いた「エマオでの食卓」ではクレオパとその妻とみられます。

彼らは天使たちから示された女性たちの証言を聞きながらも、エマオに下ったのであります。主イエスの復活は受け入れ難い出来事であり、悲しみ、失望、困惑のなかにあったと思われます。道々、話し合い論じ合っていると、主イエスが並んで歩み寄って来られます。「何を話しているのか」との間いに、二人はこの三日間エルサレムで起こったイエスの十字架の処刑に至るまでの出来事を話し、「あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていましたのに」と失望をあらわに示しました。

彼らは主イエスの力強い御言、数々の奇蹟に驚き感激して従ってきましたが、「メシアの苦難」は理解できなかったようです。それに対して主イエスは「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり御自分について書かれていることを説き明かされました。二人はそれを聞いて「心が燃えた」と、後に思い出します。

夕暮れになって宿をとることを勧め、食卓についていた時、パンを取り、賛美の祈りを唱えてパンを裂いてお渡しになった所作をみて、彼らは主イエスに気がつきました。それまで遮られていた目が開かれ、主のご復活を信じることができました。それから急いでエルサレムに戻り、弟子たちにその経験を話しました。

私共も人生において下降線を辿る、先行きの見えない、失望、落胆、疲労を覚えることがありますが、聖書が聖霊にイルミネイトされる時、心が燃え、元気を回復することができます。復活の主に生かされて、喜び、感謝、希望のうちに生活できるようになり、友人、家族、近い人々に語り伝えることができ、祈りを最大の奉仕とするように変えられることを想います。

 

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