わたしたちを教う主が来られる

2010年11月28日

説教 原田 史郎牧師

エレミヤ書33章14~16節

 主は言われます。「わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日がくる。」かつて、イスラエルとユダの家は、一つの部族連合であり神政政治の共同体でした。それが、ダビデ、ソロモン王国時代の後、互いに反目して分裂し、対立と抗争を続けてきました。それぞれの家(国)は、自分の正しさと正当性を主張してきましたが、そこから新しいものは、何も生み出されてはきませんでした。むしろ、「そこは荒れ果てて、今は人も住民もいない。」(33:10)ことを来たらせただけでした。

 

 しかし、今、主は、この荒廃している都に「わたしは恵みの約束を果たす」と言われ、その日、「正義の若枝を生え出でさせる。」と宣言されます。この正義の若枝なるお方が到来するとき、新しい出来事として、大きな恵みの状態が出現します。

 

 まず、そこに「公平と正義」をもって神さまの新しいご支配、「おとりしき」が実現します。その日、「ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。」のです。

 

 今日、わたしたちの生活と社会で最も失われているものは、安らぎや安心ではないかと思います。どこにも、安心して安らぐ場がないのです。恐れと不安、死の影がわたしたちを脅かします。胸に手を当て、わたしのこころと生活に、本当に安らぎがあるだろうか、と問うてみてください。

もし、わたしたちが荒廃した都の様であっても、今、恵みのときは近づいている、と聖書は告げます。「主イエスよ、どう罪深きわたしのところにきてください。」と祈ることが許されているのです。それが、アドベントです。

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