「逃げるのも神の道」

1月1日(日)

牧師 原田 史郎

マタイによる福音書2章13~23節   

 「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい』」 それは、新しい王の出現に怯え、猜疑心に駆られたヘロデが、幼子を殺りくするために、刃を持って襲ってくるからでした。早くも、この幼子の運命を予兆するかのような苦難でした。そこで「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り」ます。マタイはこの出来事を「『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった」と記します。これはホセア書11章1節からの引用で、この節区分で語られていることは、心を頑なにしているイスラエルの背信と回復です。聖家族のエジプト逃避は、歴史的にはヘロデによる迫害ですが、そこに表わされている意味は、神の民が彼らのために来られたメシアを拒み、異邦の地へと追いやってしまう拒絶を示しているともいえるでしょう。それはこの幼子が、やがて人々の背信と罪を負ってゴルゴダの丘へと歩まれる始まりでもあるのです。

 またここには、かつてモーセの下でなされた出エジプトの再現も預言されているといえます。イエスは、モーセに勝る指導者、救いの主として、イスラエルを主の民として回復させるのです。

 2017年が始まりました。進歩と成長を求め前に進むことは、人類始まりのときからの歩みです。だが今日、成長を飽くことなく追い求めてきた歪と限界が明らかになり、時代の転換期を迎えているといわれます。

危機のときにあっては、退いて主の許へと逃げるときがあっても良いのです。それもまた、神の遠大なご計画の中に置かれた一つの導きの道なのです。「主に申し上げよ『わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方』と(詩編91篇2節)」

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