「キリストにおいて一つになる」

8月13日

 牧師 原田史郎

  エフェソの信徒への手紙2章14~22節

「キリストはわたしたちの平和であります」とパウロは言います。この「平和」は「シャローム」のことで、旧約聖書では、契約や真実といった言葉と共に使われています。時間よりも「関係」を表している言葉です。わたしたちが和解して関係を築き、一つになるためには、「敵意という隔ての壁」を取り壊さなければなりません。現在、世界の国境には、65の壁があるといわれます。最近では、ハンガリーが難民の流入を防ぐためにセルビアとの国境に177キロの壁を立て始めました。このような壁だけでなく、わたしたちの周りには、見えない無数の壁があり、そこで差別や排斥が行われています。2009年頃から、日本でもヘイトスピーチが広がり出し、社会的なマイノリティ(小数者)に対する、排除の声が聞こえます。和解し、共に生きる社会を形造る宣教の取り組みを強めなければなりません。

またキリストは、この壁を取り壊し、自分を守り人を排斥する「規則と戒律ずくめの律法を廃棄」されました。その象徴的な例は、主が十字架で息を引き取られたとき「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け(マタイによる福音書27章51節)」ました。もはや煩わしい規則ではなく、イスラエル人、異邦人の区別はなく、誰もがイエス・キリストの血によって、憚ることなく聖所に入ることが出来るのです。「それで、このキリストによってわたしたち両方のものが一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」わたしたち教会は、主から「世の光」として、平和を造り出すために呼び出され、すべての人々と共に神に近づき、礼拝を捧げるのです。

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