生きた水を与える者

5月12日説教

梁在哲牧師

 

列王記下2章1~15節   ヨハネによる福音書7章32~39節

仮庵祭は、過越祭と五旬祭と共にユダヤ人の三大祭りで、出エジプトの出来事を記念して、屋外に仮庵を建てて、祭りの期間中そこに住み続けた。そして祭りが終わる頃、収穫された穀物を主なる神にささげ、感謝した。祭りが始まる頃、主イエスは、尋常ではない雰囲気に包まれていたエルサレムに上られず、「祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境に上って行って、教え始められた」(ヨハネ7:14)。主は、最初ユダヤ人相手に、次はエルサレムに住んでいる人々に、最後に祭司長やファリサイ派の人々に語られた。

しかし、祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを信じる群衆が「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」とささやいているのを耳にしてイエスを捕らえるために下役たちを遣わした(ヨハネ7:31~32)。そこで、主はこれからご自身、十字架を通して父なる神のもとへ帰り、しかし、人智を遥かに超える父なる神のもとへ帰る御子を、人間の時間と空間の中で捜しても無駄であると言われた(33~34)。それは、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、嵐の中を天に上って行ったエリヤをエリコの預言者の仲間たちが捜しても見付けなかった出来事を想い起させる(列王記下2:11~18)。

ところが、祭司長やファリサイ派の人々から遣わされたユダヤ人たちは、イエスがどこかに行かれると思い込み、自分たちも知らない内に将来、「ギリシアに住み続け、ギリシア語を喋るディアスポラにも福音が伝えられる」と預言した(35節)。仮庵祭が最も盛大に祝われる終わりの日は、長い荒れ野の旅の生活を終え、約束の地、カナンに入った出来事を記念した後、皆それぞれ仮庵を畳んで家に帰る日であった。その日は、祭壇の周りを7回、回りながらホサナと連呼する習慣に因んで「ホサナの日」とも呼ばれた。その日、主は、御自分を信じる人々が受けようとしている聖霊について立ち上がって大声で言われた。

「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」。そして、大河とその支流が緩やかに流れ、神の都シオンとそこにあるいと高き主なる神の聖所を潤すように(詩編46:5)、「ご自分を信じる者、渇いている人」に、一時の水を与えるだけではなく、「その人のから生きた水が川となって流れ出るようになる」と言われた(ヨハネ7:38)。復活の主イエスに出会い、主イエスを信じる我々は、内から川となって流れ出る生きた水を自分だけが飲むのではなく、周りの人々にも与え、大河の流れが神の都シオンと神の聖所を潤すように主のお体なる教会と教会の枝として連なっている者を潤すことが出来るように祈り、願う

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