主が約束された永遠の命

6月9日説教

梁在哲牧師

 

ハバクク書2章1~4節      ヨハネの手紙一2章22~29節

使徒ヨハネは、既に高齢になってエフェソに住んでいたが、当時、キリスト者と自称しながらも、異端の説に惑わされ、偽りの教えに従う者が大勢出た。人々を惑わせようとしている者たちは、信仰によってのみ救われることを否定し、信仰の代わりに何か特別な知識によって救われることに心を奪われ、イエスも被造物に過ぎないと偽りの説を伝えた。彼らは、イエスがメシアであることを否定する「反キリスト」で、メシアは、圧倒的な力を持つ、理想的かつ政治的なリーダであると誤解した(ヨハネⅠ2:22~23)。ヨハネは、その異端の説を反駁し、人々を惑わせようとしている者たちについてまた、救いへの確信を伝えるためにこの手紙を書いた(26節)。

ヨハネは、信仰経歴が浅くて未熟な信徒たちをいつも「わたしの子たちよ」と呼んだ(ヨハネⅠ2:1~2)。そして、人々を惑わせようとしている者たちの説に心を奪われないように「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい」と戒めた(24節)。それは、傷つけられ、その傷を負われた者としてわたしたちと共におられる主イエスが、わたしたちに約束された永遠の命であり(25節)、父なる神が御子イエス・キリストの十字架と復活を通して与えてくださった永遠の命への約束に他ならない(ヨハネⅠ5:9~12)。ヨハネは、また、「御子イエスから注がれた油、聖霊こそ、あなた方を惑わせようとしている者たちから守ってくださり、万事について教えてくださる最高の先生でおられるゆえに、聖霊の内にとどまりなさい」と勧めた(27節)。

それは、主が再び来られる時、確信を持つことができ、御前で恥じを入るようなことがないようにするためである(28節)。それゆえ、主が再び来られるその時、キリストを否認した者が勝利をおさめることなく、使徒たちから「初めから聞いていたこと」を、心にとどめている者のみ勝利をおさめる。我々も、父なる神の似姿で創られた自由な被造物として、誤った選びのゆえに、堕落し、偽りの説に騙されるかも知れない。しかし、それにも拘わらず、我々は、聖霊に導かれ、主イエス・キリストに従い、御前で恥じ入るようなことがないように正しく選ばせていただきたい。

預言者ハバククは、主なる神に、イスラエルが罪を犯したとしてもなぜ、「我々を懲らしめるため、彼ら、バビロンを立てられたのか」と嘆いた(ハバクク1:12~17)。そこで主なる神は、「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる」と答えられた(2:14)。バビロンへの審判は、始まり、彼らは滅ぼされるが、信仰とは、主なる神を愛し、より頼み、その約束に確信をもって御旨を成就するゆえに、正しい者は、その信仰によって生きる。「神に従う人は信仰によって生きる」、この御言葉はパウロを、またルータを奮い立たせた。

詩編の記者は、永遠の道にいたる復活を仰ぎ、主なる神を褒め称えた(詩編16:7~11)。主なる神は、命の源でおられるゆえに、命の道は、主なる神に至る道であり、命は主なる神と共にいる歩みのゆえに、永遠の命にいたる道である。父なる神は、御子イエス・キリストの十字架と復活を通してわたしたちに永遠の命を約束してくださった。どうか聖霊の御助けによってその「初めから聞いていたこと」を心にとどめつつ、主が再び来られるその日まで御前で恥を入るようなことがないように信仰の道を歩み続けたいと祈り、願う。

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