主の言葉に生かされる者

6月16日説教

梁在哲牧師

 

ミカ書4章1~7節    ヘブライ人への手紙12章18~29節

ヘブライ人への手紙の著者は、先ず信仰の主イエスを仰ぎ見、苦難の現実に耐え忍び、主の懲らしめを甘んじて受けて聖なる者とされ、延いては福音に逆らうことのないように勧めた。著者は、改めて旧約と新約の場所を挙げて自分の勧めの根拠を示し、先ず、旧い約束を授けられたシナイ山の恐ろしい光景を描いたが、その様子の恐ろしさの余り、イスラエルの民は勿論、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどであった(ヘブライ12:18~21)。手紙の記者は、それに対してあなたがたが近づいている新しい約束の場所は、明るくて輝く「シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム」であると伝えた(22節)。

ミカ預言者は、主なる神のおられる「シオンの山」は、羊の群れの囲いの中に高い塔を建てて、野獣の接近を防ぐようにエルサレムの中に建てられ、主なる神の羊の群れ、イスラエルを見守ると告げた(ミカ4:7~8)。詩編の記者も主なる神に勇気づけられ、シオンの神殿にのぼる道に慕って、心の中にシオンの広い道が開かれた者の幸いとシオンの神殿で主なる神にまみえる祝福をこよなく褒め称えた(詩編84:6~8)。主ご自身、「生ける父なる神の都、天のエルサレム」は、実に聖徒らの心の間にあると言われた(ルカ17:20~21)。使徒パウロも、奴隷の女ハガルは、シナイ山に由来する旧い契約を、また自由な身の女サラは、「天のエルサレム」に由来する新しい契約を表わすと証した(ガラテヤ4:24~26)。

そして、手紙の記者は、「シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム」、あそこは、力にひれ伏し、ぶらさがって生きることなく、主イエスの命に触れる新しい契約の場所であり、新しい契約によって主イエスを信じる者が父なる神の長子となる特権を授けられる場所であると伝えた。また、あそこは、「新しい契約の仲介者イエス、そしてアベルの血よりも立派に語る注がれた血」の場所であると証した(ヘブライ12:22~24)。アベルの血は、自分を殺した兄カインに復讐してくださるように主なる神に叫んだ(創世記4:10)。しかし、キリストの血潮は罪と死の奴隷となっていた我々を解放してくださるために身代金として払われたゆえに、「アベルの血よりも立派に語る注がれた血」である。

また、地上で主なる神の御旨を告げるモーセを拒んだ者が罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる主イエスを拒むことのないように勧める一方、出エジプトの際、シナイ山だけが揺り動かされたが、主が再び来られる時には、地だけではなく、天をも揺り動かされると戒めた(25~26節)。最後に「キリストの十字架の血潮による新しい契約」(コリントⅠ11:25)によって救われたゆえに、救いの恵みに感謝し、畏れ敬い、神に喜ばれるように仕えなさいと勧めた(28節)。主のお体なる教会が世の荒波に揺れながらも主の愛を奪われず、その愛から離れずに天のエルサレムから律法の山に戻らないように目を覚まして祈り、「キリストの十字架の血潮による新しい契約の御言葉」に生かされる群れであり続けたいと願う。

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