真の悔い改めの実 7月7日説教 梁在哲牧師 ホセア書14章2~8節 使徒言行録9章36~43節 聖書は、使徒たちが福音伝道のため遣わされた時、既に「婦人の弟子」が働いていたことを伝えている。ヤッフアに住んでいたタビタは、裕福な「婦人の弟子」で、彼女は、たくさんの善い行いや施しをしていたので皆から尊敬されていた(使徒9:36)。預言者ホセアは、親を失った孤児を助けてあげることこそ、「真の悔い改めのしるしとしてその実」を結ばれると、預言した(ホセア14:4)。ダビタもそのように日頃、立場の弱いやもめたちに色々なものを施し、助けてあげてその悔い改める模範を自ら身をもって実践した。 しかし、その頃、ダビタは病気になって死んだので弟子たちは人を送り、ペトロに急いで来てくださいと頼んだ。ペトロが到着したら、やもめたちは、皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緖にいた時に作ってくれた数々の下着や上着を見せながら彼女の死を悲しみ悼んだ(使徒9:39)。ペトロは、婦人たちのそのような嘆き、心から悲しんで悼んでいるそのただ中に遣わされた。ついにペトロは、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった」(40節)。 「タビタ、起きなさい」という呼びかけは、十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に死人の内、よみがえられ、罪と死の力を打ち破られた主イエスがペトロを通して命じられたお言葉に他ならない。復活の主イエスは、ペトロを通して罪と死の力に閉じ込められることなく、罪と死の力を打ち破り、起きなさいと命じられた。それゆえ、タビタは、主の御手によって「起き上がらされた」。 羊の群れのような愚かな金持ちは、羊飼いのような死によってよみに連れ出され、誇り高かった彼らの姿は、よみにむしばまれるが、しかし主なる神により頼んだ正しい者の魂は、死んだ後、復活の朝になれば、自分の力ではなく、主なる神の御手によってよみの手から救われ、新しい命を得るようになる(詩編49:15~16)。 ペトロは、ある日突然、嘆きと悲しみに包まれていたヤッフアに呼ばれ、遣わされた。それは、タビタの死を惜しみ、悲しみ、嘆いた婦人たちの願いによるものであった。しかし、ペトロは、復活された主イエスより遣わされた。何故なら復活された主イエスは、弟子たちに福音を宣べ伝え、病を癒し、バプテスマを授けるようにお委ねになられたからである。わたしたちは、復活された主の「御手によって起き上がらされた者」として、世に遣わされ、聖霊の御助けを求めつつ、主の十字架と復活を証し続けたいと祈り、願う。 |