共に食し、共に祈る

7月14日説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書43章1~13節   使徒言行録27章33~44節

使徒パウロは、カイサリアの裁判でローマ皇帝に上訴した。そこでアグリッパ王は、総督に「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と言った(使徒26:32)。アグリッパ王が言った通り、もし上訴さえしなければ、釈放されたかも知れない。しかし、釈放されてもパウロは、待ち伏せていたユダヤ人たちに殺される可能性が高かった。今朝の箇所には、ローマへの移送中、寄港したクレタ島の良い港から出発したパウロの一行が暴風に襲われ、漂流した末、難破してマルタ島に漂着するまでの苦難に満ちた船旅が描かれている。

暴風に襲われ、漂流し始めた14日目の夜が明けかけた頃、パウロは14日間飢えていた体力では、泳いで陸地まで辿り着くのは、到底無理だから、先ず食べて体力を補って最後の救いに備えるように勧めた。その後、一同に、「あなたがたの頭から髮の毛一本もなくなることはありません」と励ました(33~34節)。預言者イザヤは、イスラエルの民は、海や大河の中でも、また火の中でも滅びないで如何なる苦難の中でも主なる神に守られると告げた(イザヤ43:2)。

その後、パウロは「一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてからそれを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした」(35~36節)。船上の一同は、パウロの心を込めた祈りと励ましの言葉によって心を打たれ、安心感を覚え、元気づけられ、「共に食し、共に祈る」ようになった。いつの間にか船上の引率者は、百人隊長の代わりにパウロになっていた。ダビデは、サウル王から逃げ回る苦難の中で魂を支え、命を守ってくださる主なる神が苦難から常に救い出してくださり、自分の祈りと願いが叶われ、答えられるように切実に祈った(詩編54:4)。

一同が十分に食べてから穀物を海に投げ捨てて船を軽くし、朝になった頃、船は難破した(38~40節)。兵士たちは囚人たちが逃げないように殺そうとする最後の危機の中でもパウロと他の囚人たちは、百人隊長を通して救われるようになった。暴風に襲われ、漂流し、難破しても誰一人も犠牲になることなく全員無事に上陸した(41~44節)。「共に食し、共に祈った」一同は、肩書きや役割また、面子を海に投げ捨てて、助かる者と助からない者に分け隔てることなく、全員無事に上陸した。カイサリアでの上訴をはじめ船旅の全ての出来事は、神の摂理に他ならない。

しばしば、キリストのお体なる教会は、船に譬えられるが、キリストの枝として連なっている兄弟姉妹たちもパウロ一行のように人生の大海原で暴風に襲われ、漂流し、難破する苦難に満ちた船旅を続けているのではなかろうか。しかし、わたしたちは、すべてにおいてすべてのことを船長でおられる父なる神に依り頼み、御子イエス・キリストを仰ぎつつ、人生の大海原の船旅に臨みたい。そして聖霊の御助けによってすべての重荷や面子、また肩書きなど、海に投げ捨てて、「共に食し、共に祈り、共に讃美する者」として天の港に導かれるように切に祈り、願う。

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