神の働きへ立ち返る者

7月21日説教

梁在哲牧師

 

列王記上17章8~16節  ローマの信徒への手紙14章10~23節

当時ローマの教会の中には、パウロに言われたように「信仰の弱い者」があって彼らは、肉を食べなければ、お酒をも飲まなくて安息日などの律法を厳しく守った。その一方、それらの問題に自由な立場を取る者もあった。そこで、パウロは両方の過ちを指摘し、互いに愛し合い、良き聖徒の交わりにあずかるように勧めた。そして人は皆、神の裁きの座の前に立つゆえに、先ず、相手のことを非難せず、むしろ、お互いに愛をもって接するように勧めた(ローマ14:10)。ところが、その問題は、ローマ教会だけの問題はなくて、コリント教会やコロサイ教会にも、また全世界の教会と全世代にわたって形は異なっても存在するものではなかろうか。

パウロは、キリストはその兄弟のために死んでくださったゆえに、食べ物のために兄弟が心を痛めることのないように戒めた。そして、神の国の影である地上の教会信仰生活の中で大事なのは、「御子の十字架の犠牲によって罪を赦され、神の御前で正しい者とされ、聖霊によって与えられる義と神と和解させていただき、得られる平和、そしてその結果として与えられる喜びであり、決して飲み食いではない」と勧めた(15~17節)。また、食べ物のような問題のため教会の一致を損ない、延いては信仰の弱い者を傷つけ、神の働きを無にしてはならないと戒めた(20節)。父なる神の働きは、聖霊によって人々に信じる心を与え、救われた者たちが互いに愛し合い、御子イエス・キリストのお体なる教会を造り上げるからである。

そして、パウロは、万物は清いと信じながら信仰の弱い者のためなら自分は、率先して決して肉を食べないと宣言し、「自分が抱いている確信を、神の御前で心のに持つ」者は、どのような非難にも屈して揺らぐことのないがしかし、疑いながら食べる者は、罪に定められると戒めた(21~23節)。「自分が抱いている確信を、神の御前で心のに持つ」者は、相手の違いを尊重し、それらを豊かさとして受け入れ、喜びに変えて、「神の働きへ立ち返る」使命を担うことが出来るのではなかろうか。そのようにパウロは、「神の働きに立ち返ろう」と、呼びかけて、互いに、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」を求める使命に立ち返ろうと、勧めた。

詩編の記者は、出エジプトの後、シナイ山で律法を授けられ、人間が近づけない所におられながら人間の最も低くい所を見守ってくださり、弱い立場のみなし子の父となり、やもめの訴えを取り上げてくださる主なる神の働きを褒め称えた(詩編68:6~11)。主なる神は、最も立場の弱いやもめの訴えをエリヤを通して取り上げてくださった。(列王上17:16)。わたしたちは御子イエス・キリストの十字架と復活を通して父なる神の御前に正しい者とされ、聖霊による義の御恵みに心より感謝し、聖霊の御助けによって「父なる神の御前で心のに抱いている確信」がより確かなものとなり、「父なる神の働きへ立ち返る」使命を担い続けられるように祈り、願う。

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