神の富と知恵と知識

9月22日説教

梁在哲牧師

 

箴言3章13~20節   ローマの信徒への手紙11章33~36節

使徒パウロは、異邦人も以前、不従順であったが、ユダヤ人は、今、不従順であり、結局すべての人は、不従順と言う牢屋に閉じ込められたが、しかし、その不従順にも拘わらず、父なる神は、すべての人に慈しみを施されたと証した(ローマ11:32)。人間の不信仰と不従順が神のお働きを阻むことはできないし、むしろすべての人を愛してくださる神のご計画の中で万事が益となるように共に働くからである(ローマ8:28)。それゆえ、パウロは、イスラエルの民は、父なる神への不信仰と不従順のために捨てられたが、完全に捨てられた訳ではなく、救われる異邦人の数が満たされる時、回復され、救われると証し、すべての人々を救われる神のお働きとご計画に感激し、神の栄光を褒め称える頌栄を捧げた(11:33~36)。

パウロは、先ず、神の定めとご判断は、その深さを測り知れないし、その道は、理解し尽くせないゆえに、「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか」と褒め称えた(33節)。ところが、その深さは、ただの暗闇ではなく、豊かな恵みの光に照らされている。そして、「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか」と人知を遥かに超える神の知識と知恵を解き明かし、褒め称えた(34節)。父なる神は、御子イエスにおいて示された慈しみにより、その限りなく豊かな恵み、即ち、ご自分の富を来るべき世に現そうとされた(エフェソ2:7)。そこで、パウロは、誰も何かを万物の源でおられる神にささげ、その報いを受けることは出来ないと神の富を解き明かし、褒め称えた(35~36節)。

太陽の7色が合わせて光となるように神の富と知恵と知識は、神ご自身の栄光となる。高い山の頂上に上って眼下の谷の深さと連なる連峰の頂の高さ、そして全てを照らす太陽の光に感激している登山家のようにパウロは、「栄光が神に永遠にありますように、ア―メン」と頌栄を捧げた(36節)。箴言の記者は、主なる神の知恵と知識を勧め(箴言3:19~20)、詩編の記者も、全世界にあまねくおられる全知全能の神を褒め称えた(詩編139篇)。「神の富と知恵と知識」の深さが救われるべき何の功もなく、罪と死の奴隷であったわたしたちを救ってくださったゆえに、教会の扉をたたく求道者や新来者も「神の富と知恵と知識」の深さによって救われる。我々は、ただ、神のお働きを信じつつ、執り成しの祈りを捧げ続けたいと願う。

前回 目次へ 次回