恵みと真理とに満ちている言 12月22日説教 梁在哲牧師 イザヤ書9章1~6節
ヨハネによる福音書1章1~14節 ゼブルンとナフタリの地は、ヨルダン川の西側のガリラヤ地方であり、北方の国、アッシリアやバビロンから侵略を受ける度に、蹂躙され、辱めを受けた。しかし、主なる神は、いつも辱めを受け続けたそのガリラヤ地方にメシアをお遣わしになり、栄光を与えてくださると預言者イザヤは、預言した(イザヤ8:23)。主イエスが育てられたナザレは、ゼブルンという地で、公の生涯の本拠地であったカファルナウムは、ゼブルンとナフタリ地の境にある、ガリラヤ湖、即ち、海辺の地方であった。そのガリラヤは、イスラエルと周辺の国々との間に領土を巡って争いが絶えず、大勢の異邦人が住んでいたゆえに、異邦人のガリラヤと呼ばれた。 イザヤは、救い主は、世に来て、全ての人を照らしてくださる「まことの光」として(ヨハネ1:9)、「闇の中を歩む民」に、また、「死の陰の地に住む者」に、即ち、辱めを受け、蔑視されて来たガリラヤの上に大いなる光を照らし、深い喜びと大きな楽しみをお与えになると告げた。(イザヤ9:1~2)。また、来るべきメシアは、ギデオンの3百人の精鋭の兵士たちがミディアンの大軍を打ち破ったようにイスラエル民を負う軛や肩を打つ杖、また虐げる者の鞭のような「罪の力」を打ち破って下さり、ついに平和の時が訪れ、戦争の用品は全て焼き尽くされると告げた(3~4節)。 イザヤは、選ばれたイスラエルの民は、「ひとりのみどり子、ひとりの男の子」が生まれることによって救われると告げた。権威がその子の肩にあり、その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられ、メシアの統治と平和は増し、絶えることがないと告げた(5~6節)。それゆえ、使徒ヨハネは、「力ある神」、救い主、御子イエスは、初めからわたしたちの歩みの中に共におられたと証した(ヨハネ1:1)。詩編の記者は、主なる神は、レバノンの杉の木を砕かれるようにその御声で世を裁かれ、裁きの力で聖徒らに力をお与えになり、祝福して平和をお与えになるゆえに、主なる神に栄光を帰せ、褒め称えている(詩編29:5~11)。 わたしたちは、救い主、御子イエスが世を裁かれ、祝福して力と平和をお与えになるゆえに、父なる神に栄光を帰せ、褒め称えねばならない。軛と杖と鞭のような罪の力のゆえに、闇の中を歩み、死の陰の地に住んで罪と死の奴隷となっていたわたしたちのために父なる神は、御子イエスをまことの光としてお遣わしになり、照らして下さった。まことの光は、全ての人々に救いをもたらす父なるご自身の恵みである(テトス2:11)。どうか聖霊の御助けによって父なる神の恵みと、その「恵みと真理とに満ちている御子イエス・キリスト」が(ヨハネ1:14)、わたしたちの歩みの中に共におられるように祈り、願う。 |