最初の礼拝に導かれた者

12月29日説教

梁在哲牧師

イザヤ書60章1~6節     マタイによる福音書2章1~12節

しばしば、キリスト教は、よその国、欧米の宗教だと言われているが、幼子イエスにひれ伏して拝み、宝物を献捧げて、最初に礼拝を捧げたのは、東方の博士たちであった。ユダヤ人から見れば、異邦人であった博士たちは、星と言う神の導きに従い、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言った(マタイ2:1~2)。博士たちは、「救い主に会いたい」と心から願っていて東の方から遠路はるばるやって来て、お生まれになったばかりの幼子イエスにたどり着き、ひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた(2:11)。

預言者イザヤは、救われて回復されたエルサレムを女性として例え、都エルサレムに主なる神は、栄光に輝き、臨まれるが、しかし異邦人の世界には、その不信仰と罪のゆえに、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいると預言した(イザヤ60:1~2)。そして、ただ、回復されたエルサレムのみに主なる神の栄光の光に照らされ、その時こそ、全世界の人々は、こぞってエルサレムに押し寄せ、皆、黃金と乳香を携えて来て、国々の富は、エルサレムに集まると告げた(4~6)。それゆえ、主イエスが再び来られるその日には、全世界の人々は、新しいイスラエル、キリストのお体なる教会に集まり、福音を通して救いに共にあずかるようになる。

ダビデは、息子アブサロムが謀反を起こして、罪と死と無知と危険に包まれているその暗闇の中でも自分の救いと命の砦と光となられる主なる神のゆえに、誰を恐れよう、誰の前におののくことがあろうかと歌っている(詩編27:1)。そして、「群がる敵の上に頭を高く上げさせてくださる」主なる神は、敵の攻撃から安全に守ってくださるだけではなく、敵を打ち破り、勝利を与えてくださると、戦争の勝利を確信し、「主の幕屋でいけにえをささげ、歓声をあげ、主に向かって讃美の歌をうたうと、主なる神に感謝と喜びの礼拝をささげる」と褒め称えた(6節)。それゆえ、我々は、詩編の記者が、主の幕屋でいけにえをささげ、歓声をあげ、主に向かって讃美の歌を歌ったように神に礼拝を捧げねばならない。

東方の博士たちは、神の導きを信じつつ、遠い道のりを乗り越え、ついに幼子イエスにひれ伏し、拝み、宝物を捧げる礼拝に導かれた。2千年前のその礼拝こそ、キリストによって導かれ、招かれたものであり、今我々が捧げているこの礼拝につながり、これからの人々にもつながっていくものではなかろうか。父なる神は、御子イエス・キリストを世にお遣わしになり、御子イエス・キリストは、ご自分の十字架の犠牲とご復活によって敵のように群がる罪と死の上に我々の頭を高く上げさせてくださり、まことの勝利を与えてくださった。不安定で不確かなこの世においても我々は、聖霊の御助けによって確かな御言葉により頼み、礼拝の恵みに感謝しつつ、主にある勝利をおさめたいと祈り、願う。

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