悪行と罪を新たにする者

7月27日説教

梁在哲牧師

 

エレミヤ書7章1~7節    使徒言行録19章13~20節

エフェソの人々は、雄弁家アポロの影響で洗礼者ヨハネの洗礼しか知らなくて聖霊も聞いたこともないとパウロに答えた。そこでパウロは、12人ほどの上に手を置いて主イエスの名によって洗礼を授け、聖霊が降り、エフェソは、正にペンテコステの場になった。パウロの第三回目の伝道旅行の大半は、エフェソで行われたが、その伝道の場所は、最初3ヵ月間、従来通りにユダヤ教の会堂であった。しかし、頑ななユダヤ人たちの不信仰と非難のため、テイラノという講堂に移ってそこで二年間伝道した。その意味においてエフェソ伝道は、パウロにとって生涯最大の力を注いだ3年間のものであった。(使徒19:1~9)。神は、パウロの手を通して病気が癒され、悪霊どももが出て行くほど目覚ましい奇跡を行われた。

ところが、それらを見聞きしたユダヤ人の祈祷師たちの中にも、これは、金儲けのおいしい話だと思い込んで悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言った(11~13節)。当時の祈祷師は、アブラハムや主なる神の名をあげて呪文を唱えながら、悪霊を追い払ったが、彼らは、試みに、イエスの名を借りていた。しかし、ペトロやパウロが呼んだイエスの御名は、信仰の表わしであって、決して呪文ではなかった。ところが、悪霊も既に、イエスのこともパウロのこともよく知った上で超越した力をもっていたので、祈祷師たちは、悪霊を追い払うどころか、酷い目に遭われて、自分たちの偽りや嘘が暴かれるようになった(15~16節)。

人々は、皆、イエスの名を勝手に借りて酷い目に遭われた祈祷師たちのことを見て、イエスの御名の前に恐れを感じ、神を畏れ敬い、正しい信仰に導かれた。そして信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白し、魔術を行っていた多くの者も、巨額の書物を果敢に捨てて、焼き尽くした。彼らは、自分の罪に悟り、それらを人の前で公に明らかにし、神の御前で告白し、信仰の決断を示した。それでは悪行と罪は、一体どういうものであろうか。それは、主が言われたように「聖霊を冒涜し、悲しませる」ことに他ならない(マルコ3:29)。イエスの生涯は、聖霊によってやどり、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められ、聖霊によって完成されたからである(ローマ1:3)。

そのようにしてエフェソで偽りのものと嘘は、崩れ去り、真実の主の言葉は、広まり、力を増して福音伝道は、良い実を結ぶようになった(使徒19:17~20)。預言者エレミヤは、主なる神に礼拝を捧げるために神殿に入る人々に空しい言葉に依り頼んではならないと、偽りの礼拝を警告した(エレミヤ7:3~7)。詩編の記者は、主なる神の御言葉こそ、自分の歩む道を照らす光であり、灯であるがゆえに、空しい言葉に依り頼む偽りの礼拝を避けて、命を得させてくださる主なる神の御言葉に信頼を寄せつつ、褒め称えた(詩編119:105~107)。どうか、聖霊の御助けによって「悪行と罪を新たにする者」としてし、主の御言葉に信頼を寄せつつ、まことの礼拝を捧げ続けることができるように祈り、願う。

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