憐れみの器 8月3日説教 梁在哲牧師 創世記21章9~21節 ローマの信徒への手紙9章19~28節 聖書は、世の争いや憎しみが消え去るだけのことではなく、人間が神に向かって抱いている敵意という隔ての壁が取り壊され、神と和解させていただくようになる時こそ、真の平和が訪れると伝えている。それゆえ、使徒パウロは、イエス・キリストの十字架の贖いを通して人間は、神と和解させていただき、敵意という隔ての壁は、取り壊され、滅ぼされ、「実にキリストこそ、わたしたちの平和である」と証した(エフェソ2:14~16)。また、パウロは、神と人間との平和に引き続き、人間同士の平和、殊に、ユダヤ人と異邦人との間の平和について証し続けた。パウロは、異邦人に福音を宣べ伝えるために遣わされた自分に物凄く反発する肉による同胞のユダヤ人の救いのためならば、自分は、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ、思っていると告白した(ローマ9:3)。 そして、異邦人に福音が宣べ伝えられ、救われることに激しい反感を抱いたユダヤ人たちに焼き物師の例えをあげて神の御救いの業を証した。神の被造物に過ぎない自分のことを忘れて天地万物を創造された神に口答えをするユダヤ人たちをパウロは、厳しく戒めた。その後、パウロは、天地万物を創造された神は、「一つを貴いことに用いる器に一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか」とユダヤ人たちに問い返した。また、神は、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるために、怒りの器として滅びることになっていた者たちが悔い改めるように、寛大な心で耐え忍ばれ、「わたしたちを憐れみの器としてユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださった」と証した(ローマ9:20~24)。パウロは、預言者ホセアとイザヤを引用して、異邦人とユダヤ人の救いを証した(25~28節)。 主なる神は、荒れ野で瀕死の状態に陥っていたハガルとその息子イシュマエルのなき声をお聞きになり、別の道へ導き、命を約束して、二人を救ってくださった(創世記21:17~18)。それは、神の救いにあずかることの出来ないと言われた異邦人も主イエスの十字架の贖いよって救われる、影と予表であった。詩編の記者は、イスラエルが捕虜から解放され、エルサレムに帰って来て神殿を再建し、主なる神を拝む時、異邦人たちも、世界の国々の王も皆、主の御名を畏れ敬うようになると、歌った(詩編102:21~23)。父なる神は、ご自分に敵対している人間の罪をお赦しになるために御子イエス・キリストを世にお遣わしになり、御子は、十字架の贖いによって罪と死の奴隷であったわたしたちを解き放ってくださり、神と和解させられ、敵意は、滅ぼされた。どうか、聖霊の御助けによってわたしたちの平和でおられるキリストの平和が与えられるように祈り、願う。 |