和解の福音

8月10日説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書49章7~11節 コリントの信徒への手紙Ⅱ5章14~6章2節

使徒パウロがコリントを最初、尋ねたのは、第二回目の伝道旅行の後半の時期であった。そして、第三回目の伝道旅行の途中、エフェソで書いた第一のコリント信徒への手紙は、教会中で分派や争いの問題を解決するために、また、自分に対してコリント教会の人々が抱いている誤解を解消するためにマケドニア州のフィリポで第二の手紙を書いた。何故ならパウロの使徒としての資格や権威について一部の人々が疑問を抱いていたからである。そこでパウロは、自分の使徒としての資格や権威は、勝手に人間から出ることではなくて、これらのすべては、神から出ることであると証した。即ち、わたしたちがキリストに結ばれ、新しく創造されたこれらは、すべて神から出ることであって、父なる神は、キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、和解のために奉仕する任務をお授けになった。

そして、我々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をもわたしたちにゆだねられたゆえに、パウロは、自分は、神より異邦人への使徒として遣わされたと証した(コリントⅡ5:16~19)。パウロが十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと、心に決めていたゆえに、和解の言葉こそ、十字架の言葉に他ならない(コリントⅠ2:1~2)。父なる神は、御子イエス・キリストを世にお遣わしになることによって和解の御手を先に伸ばされ、和解の出発は、神ご自身にあるのである。それゆえ、パウロは、先ず、「神と和解させていただきなさい」と勧めた(コリントⅡ5:20)。その後、わたしたちは人間同士と和解しなければならない。何故なら、人間同士の和解によってこそ、我々が神と和解させていただいたことが証しされるからである。

パウロは、和解のために奉仕する任務を授けられ、和解の言葉をもゆだねられたゆえに、和解の福音を宣べ伝える和解の使徒として神と共に働く者として神からいただいた惠みを無馱にしてはいけないと戒めた。イスラエルを贖う主なる神は、ご自分の僕、メシアに、イスラエルを救うための霊的な力をお授けになることを約束してくださる上で、「惠みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と言っておられたからである(コリントⅡ6:1~2・イザヤ49:8)。今や、父なる神が御子イエス・キリストの十字架の贖いを通して与えてくださる和解の恵みの時ではなかろうか。詩編の記者も奴隷の国エジプトから解き放ってくださった主なる神の贖いの恵みと、荒れ野での救いに感謝し、御名を褒め称えた(詩編107:2~9)。どうか聖霊の御助けによって互いに和解し合いつつ、神と和解させていただいた恵みを証し続けることができるように祈り、願う。

前回 目次へ 次回