主を畏れ、その道を歩む者

8月31日説教

梁在哲牧師

 

創世記24章62~67節  コロサイ書3章18~4章1節

パウロの愛弟子エパフラスは、パウロより、福音を共に仕えている仲間としてキリストに忠実に仕える者だと言われ、後にコロサイ教会を造り上げた(コロサイ1:7)。ところが、彼は、ローマの監獄に捕らわれていたパウロを訪ねて来てコロサイ教会の中に異端の説を広める群れの問題などその厳しい事情を報告した。それらの異端の説とは、人間の言い伝えに過ぎない哲学や偽りの謙遜と天使礼拝にふけること、また禁欲的な戒律に縛られてそれを強制することであった(コロサイ2:8・18・21)。パウロは、それらの異端の説に対してキリストのみ唯一の救い主であり、キリストこそ、神と人、神と世の間で執り成しをされる仲介者でおられると証した。

そして、パウロは、キリストに結ばれて新しくなった者の家庭は、どのような形で守られるべきかについて伝えた。それは、夫婦、親子、主人と僕との間で、単なる仕える立場や仕えられる立場だけを押し付けることなく、キリストにある交わりに基づいた新しい家庭の姿を示した。パウロは、先ず、夫婦関係においてお互いに「主を信じる者にふさわしく妻は、夫に仕え、夫は妻を愛しなさい」と勧めた(コロサイ3:18~19)。また、親子関係においても子どもたちは、両親に従って主に喜ばれるように、また、親は、寛大な心をもって彼らを激しく怒らせて落胆しないように戒めた(20~21)。

次にパウロは、主人と奴隷との関係において奴隷は、御国を受け継ぐという報いを主から受け、主に仕えている者として人に対してではなく、主に対してするように主を畏れつつ、真心を込めて主人に従うように勧めた(22~24節)。アブラハムより息子イサクの妻を遠方から連れて来るように命じられた僕は、何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように心から行う忠実な者であった(創世記24:62~67)。詩編の記者も、主を畏れ敬い、主の道を歩む者に注がれる主なる神の祝福を褒め称えた(詩編128:2~4)。最後にパウロは、主人も天におられる自分の主人のゆえに、自分の僕を正しく、公平に扱うように勧めた(コロサイ4:1)。

その公平とは、身分的な平等ではなく、主人も奴隷も、どのような身分であっても究極的には、主イエス・キリストに仕える者に求められる霊的な公平である。父なる神は、人を通して人の中でお働きになり、聖霊に満たされ、新しくされた人々は、人を通して御子イエス・キリストに仕えるようになる。それゆえ、福音を通して悔い改め、救われた人々によって社会の変革は、徐々に成し遂げられるのではなかろうか。父なる神が御子イエス・キリストを通してご自分にいたる唯一の道を開いてくださったゆえに、わたしたちは、聖霊の御助けによって主を畏れ敬いつつ、真心を込めてその道を歩み続けたいと祈り、願う。

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