|
灯と一緒に油を用意する者 10月19日説教 梁在哲牧師 イザヤ書33章17~22節 マタイによる福音書25章1~13節 主イエスは、ご自身再び来られる時についてユダヤ人の婚礼式の例え話をあげてその終りの時に備えて賢く用意しなさいと命じられた。ユダヤ人の婚礼式は、夕方に執り行われ、その前に花嫁の家を訪れる花婿を花嫁の友たちが出迎える慣例があった。ところが、「愚かな乙女たちは、用意をしていた油が、足りなくなって灯は、消えそうになったが、賢い乙女たちは、それぞれの灯と一緖に壺に油を入れて持っていた」(マタイ25:3~4)。我々の心の壺の中に十分に用意をしている油によって燃える灯は、正に聖霊に満たされて燃える豊かな信仰に他ならない。 詩編記者は、「命の泉は、あなたにあり、あなたの光に,わたしたちは、光を見る」と、燃える灯のような主なる神の光を褒め称えた。(詩編36:10)。詩編の記者は、命の源は、主なる神にあり、命は、光りであるがゆえに、自分たちの行く道は、主なる神の光に照らされ、輝くと、主なる神を褒め称えたのである。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまったが、真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで,乙女たちは皆起きて、それぞれのともし火を整えて、出迎えに行った。愚かな乙女たちは、油がなくなって灯が消えそうになっていることに気づいて慌てた(マタイ25:5~7)。 愚かな乙女たちは、灯が消えそうになったので慌てて、賢い乙女たちに『油を分けてください』と願った。しかし、愚かな乙女たちの願いは、冷たく拒まれた(8~9節)。聖霊は、御子イエスを通して父なる神より一人一人に授けられ、信徒同士に分かち合うことの出来ないものだからである(ヨハネ14:16)。天の国の門は、その日に備えて用意しなかった全ての者に瞬く間に閉められ、彼らは、憐れみを願っていたが、遅過ぎることになった(マタイ25:10~12)。預言者イザヤは、アッシリアがエルサレムに責めて来るような勢いを見せている最中、アッシリアの滅亡を預言し、主なる神の救いと共に来るべきメシアと天の王国の栄光に輝く姿を告げた(イザヤ33:17・20~22)。 最後に主イエスは、「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」と命じられた(マタイ25:13)。主イエスは、眠気がさして眠り込んだことを責められた訳ではない。ただ、油を十分に用意しなかったことを責められた。それゆえ、主イエスは、「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」(マタイ24:44)。命の源でおられる父なる神は、御子イエス・キリストを世のまことの光としてお遣わしになった。どうか、聖霊の御助けによって花婿でおられる御子主イエスが再び来られるその日に備えて目を覚まして灯と一緒に油を用意し、聖霊の御助けを求めつつ、祈り続けることができるように願う。 |