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お互いの向上に心がけなさい 11月30日説教 梁在哲牧師 イザヤ書51章4~11節 テサロニケの信徒への手紙一5章1~11節 テサロニケ教会の人々は、主が再び来られる時、既に死んだ者は、どのように復活するのか。また、主は、いつ再び来られるのかといった二つの疑問を抱いていた。特に彼らは、主イエスを信じて死んだ者の救いについて確信を持ってなかった。そこで、パウロは、先ず、盗人が夜やって来るように主の日は来ると言いながらも「主イエスを信じるあなたがたは、暗闇の中にいる者ではないゆえに、主の日が盗人のように突然あなたがたを襲うことはない。また、あなたがたは、すべて光の子、昼の子だから他の人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んで、主の再臨を待ち望みなさい」と励みつつ、勧めた(テサロニケⅠ5:4~6)。 また、パウロは、目を覚まず眠る者は、夜眠り、身を慎まず酒に酔う者も夜酔うように放蕩に耽る罪悪はキリストに背く夜に行われると戒めた(7節)。それゆえ、主イエスは「光として世に来たのに人々はその行いが悪いので光を憎み、闇の方を好んだ」と言われた(ヨハネ3:19~20)。しかし、パウロは眠らず目を覚まして、酒に酔わず身を慎むことに止まることなく、信仰と愛と希望の武具を身に着けなさいと戒めた。父なる神は、御子イエスの再臨の最後の審判の時、ご自分の怒りに我々を定められず、罪と死の奴隷であった我々を御子イエスの十字架の贖いによる救いにあずからせるように定められたからである(テサロニケⅠ5:8~9)。 預言者イザヤは、主なる神が葦の海でエジプト軍を滅ぼされ、大いなる淵の水を干上がらせ、深い海の底に道を開いて贖われた人々を通らせたように御力が目を覚まし、奮い立て、バビロンを打ち破って苦しんでいるイスラエルを救ってくださいと祈った。そして、主なる神によって葦の海で贖われたイスラエルが喜んで歌ったようにバビロンから贖われたイスラエルの民も喜びの歌を歌いながらシオンに入るように御腕を奮い立て、イスラエルを救ってくださいと主なる神に祈った(イザヤ51:9~11)。詩編の記者も、神に逆ら者の味方をして、不正に裁く世の裁判官に委ねることなく、主なる神、御自ら立ち上がり、奮い立て、世を裁いてくださるように祈った(詩編82:8)。 引き続き、パウロは、主イエスは、ご自分を信じて生きている者も既に死んだ者もご自分と共に生きるようになるために十字架で死なれたと証した。それゆえ、パウロは、主イエスを信じて死んだ者の救いについて確信を持たずに疑問を抱いていた者に確信を与えるために互いに慰め、励まし合い、お互いの向上に心がけなさいと勧めた(テサロニケⅠ5:10~11)。それは、お互いの慰め、励まし合いこそ、目に見えないキリストのお体なる教会とキリストの枝として連なる者を造り上げることに他ならないからである。 父なる神は、わたしたちを怒りに定められることなく、御子イエスを世のまことの光として遣わされ、十字架の贖いによる救いにあずからせるように定められた。それゆえ、御子イエスは、ご自分を信じて生きている者も死んだ者もご自分と共に生きるようになるために十字架の上で死なれた。聖霊の御助けによって主イエスが再び世に来られる日を待ち望みつつ、慰め、励まし合い、キリストのお体なる教会とキリストの枝として連なる兄弟姉妹たちを造り上げ、お互いの向上に心がけることができるように祈り、願う。 |