御自身、試練を受けられた主

2月22日説教

梁 在哲 牧師

エレミヤ書31章27~34節  マルコによる福音書1章12~15節

主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたこと、そしてその後、荒れ野でサタンから誘惑を受けられたこの二つの出来事は、これから始まる主イエスの公の生涯のために備えられたものであった。ところが、主イエスが洗礼を受けられ、水の中から上がるとすぐ、天が裂けて聖霊が鳩のように注がれ、ただちにイエスを荒れ野に送り出した。主が40日間荒れ野でとどまり、サタンから誘惑を受けられたその間、野獣と一緖におられたが、天使たちが仕えていた(マルコ1:12~13)。モーセは、40日40夜、パンも食べず、水も飲まずに主なる神と共にとどまり、十戒を授けられた(出エジプト34:28)。

主イエスのご受難と死を覚え、悔い改めつつ、復活の喜びを準備する受難節は、四旬節とも呼ばれ、「四旬」は、主イエスが荒れ野でサタンから誘惑を受けられ、断食し、祈られた40日間のことに由来する。サタンは、神に敵対する者、欺く者、殺人者、嘘つきなど、数多くのあだ名で呼ばれる。詩編の記者は、ご自分の愛する民を、天使を通していつも守ってくださり、彼らが躓かないように見守ってくださる主なる神を褒め称えた。しかし、サタンは、自分の都合にあわせて勝手に御言葉を使って主イエスを誘惑した(詩編91:11~12)。

また、ヘブライ人への手紙の記者は、「主イエスは、憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、兄弟たちと同じように御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助ける事がおできになる」と、御自ら、誘惑を受けられ、苦しまれた主イエスを証した(ヘブライ2:17~18)。さて、洗礼者ヨハネが捕らえられた後、主イエスは、ガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた(マルコ1:14~15)。「その時」は、父なる神が計画しておられた御救いのご約束が御子イエス・キリストを通して成し遂げられる時である。

預言者エレミヤは主なる神は、イスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日、その時が来ると、預言した(エレミヤ31:31~34)。主は、悔い改めて福音を信じなさいと言われたが、ある神学者は「悔い改めることと福音を信じて受け入れることとは、一つのことであるがゆえに、主イエスの悔い改めへの呼びかけは、喜びの訪れである」と述べた。主イエスは、わたしたちの所にまで来てくださって、恵み深くわたしたちに御顔を向け、両手を広げて招いてくださるゆえに、わたしたちは、何の功もないままに心の向きを変えて、悔い改めて喜びをもって主イエスのもとに立ち帰ることが許されるからである。

それゆえ、悔い改めは、わたしたち人間のわざでなければ、わたしたちに負わされている重荷でもない。今も御子イエス・キリストは、「わたしがあなたのもとに来て、あなたの罪を贖ったのだから、あなたは、父なる神に立ち帰ってよい。父なる神の喜びの中に入ってしまったらよい」とお語りくださる。主イエスのご受難と死を覚えるこの受難節の時、わたしたちの罪を償うために御自分をいけにえとしてお捧げ、わたしたちと同じように、「御自身、試練を受けて苦しまれた」主イエスの愛を仰ぐ。そして、神の御言葉に耳を傾け、今この時も、主イエスが導いてくださることを信じて歩みつつ、主イエスのご復活の喜びを準備したいと祈り、願う。  

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