悪と戦うキリスト

3月1日説教

梁 在哲 牧師

エレミヤ書2章1~13節    マルコによる福音書3章20~27

イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は 食事をする暇もないほどであった(マルコ3:20)。しかし、そのような群衆の熱狂的な反応とは違って、ナザレのイエスに対する周りの人々の反感も、益々強くなり、「あの男は気が変になっている」と言った噂も広まっていた。当然、身内の人たちも、その噂を聞いてイエスを取り押さえに来た(21節)。身内の人たちは、今まで家族の大黒柱として支えて働いていたイエスが、ある日突然、家を出て、洗礼者ヨハネから洗礼を受け、自分の弟子たちを呼び集め、神の国の宣教を始め、それから、病人を癒したり、貧しい人を助けたりと、他人のことばかり尽くして自分の家族は、放り出していると感じて不思議に思ったからである。

また、エルサレムから来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」とイエスを誹謗中傷した(22節)。主イエスは、ご自分において始まっている聖霊のお働きの業を汚れた霊の業としか見ることの出来ない者には、赦しが用意されていないと、律法学者を厳しく戒められた(28~30節)。彼らが聖霊を冒涜したからである。そのように身内も、律法学者もイエスを理解できなかった。主なる神は、預言者エレミヤを通してイスラエルの裏切り、殊に、主なる神ご自身を理解できない律法学者たちを厳しく叱られた(エレミヤ2:8)。

そこで、イエスは律法学者たちを呼び寄せて、国や家のたとえを用いて「どうして、サタンがサタンを追い出せよう」と反駁された。また、サタンの力を借りることなく、御自らサタンを縛り上げることを、例えられた(マルコ3:23~27)。主イエスが悪霊を追い払われたのは、悪霊に苦しまれる人々を救われるためであった。詩編の記者ダビデは、王位に就く時、全ての敵の手、また、サウル王の手から救ってくださった主なる神の御救いの業を褒め称えた(詩編18:1~4)。さて、主イエスは、福音伝道の最初から色々な病気にかかっている大勢の人たちを癒し、また、多くの悪霊を追い出して悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスを知っていたからである(マルコ1:34)。

主イエスは、常に聖霊によって悪霊と戦いを続けておられ、信仰告白の上に建てられたご自分のお体なる教会に、よみの力、悪霊の力も対抗できないと言われた(マタイ16:18)。しかし、悪霊は、信仰の共同体、教会の強い力を恐れるゆえに絶えず、人々が教会から離れるように攻撃し、教会の中で葛藤や分裂と争いを煽り続けている。それゆえ、主イエスは、「悪より救い出し賜え」と祈るように命じられ、使徒パウロも、「悪魔にすきを与えてはなりません」と戒めた(エフェソ4:27)。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするもの」であるからである(エフェソ6:12)。聖霊によって悪霊と戦いを続けておられ、ご自分の十字架と復活を通して全てにおいて既に、勝利をおさめられた御子イエス・キリストに倣い、父なる神の武具を身に着けて霊的な戦いに臨みたいと祈り、願う。

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