十字架と復活の予告

3月8日説教

梁 在哲 牧師

 

イザヤ書48章1~8節   マルコによる福音書8章27~33節

主イエスは、再びガリラヤを離れて、弟子たちとフィリポ ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった(マルコ8:27)。その途中、イエスは弟子たちに「人々は、私のことを 何者だと言っているか」と言われた。イエスは、全ての世帯にわたる人々にガリラヤでの3年間の伝道の総決算を尋ねられた。そこで弟子たちは「『洗礼者ヨハネだ』。他に、『エリヤだ』、また、『預言者の一人だ』と言う人もいます」と答えた(28節)。弟子たちは「大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」のような悪口については、触れずに、好意的な評判だけをイエスに伝えた(マタイ11:19)。しかし、それはイエスに似たような面に触れたかも知れないが、本当のイエスの姿を正しく見ることはできなかった。

そこでイエスは、「あなたがたは、私を何者だと言うのか」と弟子たちに尋ねられたが、ペトロは「あなたは、メシアです」と答えた。ところが、イエスは御自分のことを誰にも話さないようにと弟子たちを戒められた(29~30節)。弟子たちさえ、まだ確かな信仰を持っていなかったのに世の人々は、尚更のことで、むしろ、混乱を招いてしまうからであった。ペトロの信仰告白の後、イエスは、ご自分の受難を弟子たちに予告され、秘められた十字架と復活の奥義が明らかにされた(31節)。ペトロをはじめ弟子たちにとってメシアは、王としてエルサレムで国を治められる存在なのに、イエスは、十字架の苦難の予告に、しかも、そのことをはっきりとお話になったので彼らは、非常に失望し、慌てた。

特にイエスより褒められたペトロは、イエスを脇へお連れして、諌め始めるような大胆な行動を取った(32節)。そこでイエスは、振り返って、弟子たちを見ながら、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」とペトロをお叱りになった(33節)。主イエスは、荒れ野でサタンから誘惑を受けられた時にも、同じように言われたが、ペトロの行動からもサタンの誘惑を感じられたからである。ペトロをはじめ弟子たちは、父なる神の御救いのご計画によって御子イエスが苦難の十字架を担われる、神のことを思わず、イエスが十字架の苦難を避けて、エルサレムでメシアの王となられ、自分たちもその栄光に加わろうとする、人間のことだけを思っていたからである。

詩編31編は、ダビデがサウル王の迫害を避けて逃げ回った時、捧げた受難者の祈りとして知られている。苦難の中で主なる神に依り頼みつつ、御救いを呼び求めたダビデは、特に人間のこと、移り変わり、変わりやすい人の心に脅かされ、嘆いた(詩編31:12~14)。預言者イザヤは、主なる神は、人間のことだけを思い、頑ななイスラエルの民をお叱りになり、救い主、メシアを通してお救いになる新しいこと、即ち神のことをお知らせになると、告げた(イザヤ48:6~8)。御子イエスのご受難を覚える受難節の時、私たちは、聖霊の御助けによって人間のことを捨てて、御救いのご計画によって御子イエスが苦難の十字架を担われる、神のことを思い、ご自分の十字架と復活を通して勝利をおさめられた御子イエスを仰ぎつつ、輝かしいイースターを迎えたいと祈り、願う。

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